2009年10月 1日 (木)

四季 春 -森 博嗣

四季 春 (講談社文庫)

著者:森 博嗣

四季 春 (講談社文庫)

考えなくてはいけないのが悔しい

 普段、会話が弾む相手は、例えば同じ趣味を持っている人、そうでない場合は同じ価値観を持っている人。

 そしてそれ以上に話しやすいのは、知識レベルが同じ事。それは差別するつもりはなく、どうしようもない事。当たり前の事。

 そんな事をこの本を読んで実感しました。

 それまでそんな事を意識してませんでした。気づいたのは森さんのFシリーズを読みすすめてからです。

 主人公の心の動きが、考えないと共感できない、すんなり理解できない。

 それは森さんの書き方のせいじゃない。私と主人公の知識レベルに雲泥の差があるからだ。認めるのは悔しいけれどそう思います。

 ただ、Fシリーズにはまだ遠慮が感じられる。知識レベルが低い、私のような読者にも、考えればわかるように、少しレベルを落としてくれている。

 それはおそらく、楽しい作業ではないでしょう。いい例えではないけれど、大人が小学生にわかるように会話をしてくれている、違う趣味の人に専門用語を説明しながら趣味の話をしてくれている。それと同じ事だから。

 

 でも、この四季シリーズでは、目線を下げてくれる事をしてくれていない。

 それは「スカイ・クロラ」を読んだ時も感じていた。

 ただ、「スカイ・クロラ」が舞台の世界観を「既にわかっている事」としているのに対し、四季シリーズは、主人公の知識レベルを「読者と同じレベル」とみなしてしまっている。

 だから悔しい。

 スカイ・クロラはかろうじて主人公の気持ちによりそう事ができる。

 けれど、真我田四季にはよりそえない。とてもとてもついてゆけない。

 考えてわかるようでは、本当にはついてゆけない。すんなり共感できるには、持って生まれた感覚が優れていないと無理なのじゃないかと思うほど。

 自分がそれを持っていない事を、ほとほと悔しい気分になりながらも、それでも読んでしまう。

 それこそ、大人の話をこっそり盗み聞きしている子供の気分で。

 わからないなりにも、少し背伸びできたような気分で。

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2009年9月30日 (水)

DO YOU DREAMS COME TRUE? -DREAMS COME TRUE

DO YOU DREAMS COME TRUE?初回盤(2CD)

アーティスト:DREAMS COME TRUE

DO YOU DREAMS COME TRUE?初回盤(2CD)

不幸だろうが幸せだろうが朝はくる

 新しいアルバムの内容から、作り手のプライベートな心境をはかるのは、あまりいい事ではないのかもしれません。

 けれど心配せずにはいられない。元気になっただろうか。笑えているだろうか。

 多くの人に前向きなメッセージを与えてくれてきた人だもの。無理して前向きになってやしないだろうか。

 そんな余計な心配をうちくだく、そんなアルバムでした。

 まだまだ哀しみがどこか感じられる。悲しみではなく、哀しみ。切ない気持ちを無理には隠さない。でも全開にはしていない。決してヒロイズムにはなってはいない。

 「MERRY-LIFE-GOES-ROUND 」の歌詞、

 「夢や希望 なくしても人生はララル、まわってくの
  ゲームオーバーに見えても その先 ララル 続いてくの」

 このフレーズが、アルバムの全てをあらわしてる気がしてくる。

 前を向こうとしている、でもまだ少しせつない。

 せつないけれど、でも笑おう。笑って、まだまだ歩いていこう。

 そんな気持ちが見え隠れして。笑いながらなきたくなる。

 曲の最後のフレーズ。

 「はだかになって はだかになって もう一度 生まれよう
  はだしになって はだしになって 明日を越えていこう」

 決心、とか、覚悟、とか、そんな重大な単語ではなく、でも、確かな気持ちでそう思う。

 そんな美和さんの気持ちが伝わってきて。私自身も前をみて、上を見上げて歩きたくなる。

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2009年9月14日 (月)

三月のライオン

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この表情が全てを物語っているようで

 おそらく、三月のライオン、というと、同名のマンガを思い出す人の方が多いと思う。

 けれど、私はこの映画の、このパッケージにもなっているこの写真を思い出す。

 もう15年以上前、雑誌「ぴあ」でこの写真をみたのだった。たしか「ぴあ」関連の賞を受賞された作品なので、紹介されていた。

 そのあらすじを読んだだけで、私はやられてしまった。

 

 「記憶喪失になった兄を迎えにきた妹は、アイスと名乗り、自分は恋人だと兄に伝える。二人は恋人同士として暮らし始めるが...」

 なんて、あらすじだった。

 そしてこの写真。

 脱力感でも、無力感でもない。どうしようもない場所にたどりついてしまった、と、呆然とするようなこの表情。アイスのくわえかた。

 ずっと気になって、でもその時は映画館にはいけなくて。

 結局、観る事ができたのは今年。

 DVDになっているとは思わなかった。ようやく、アイスに会えた。

 

 映画は本当に、「三月はライオンのようにやって来て、羊のように去っていく (3月は荒々しい気候とともに始まり、穏やかな気候で終わる」というイギリスのことわざにふさわしい。

 映画のラストは、二人にとってハッピーエンドなのだと思いたい。

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2009年9月13日 (日)

獣の奏者 -上橋 菜穂子

獣の奏者〈1〉闘蛇編 (講談社文庫)

著者:上橋 菜穂子

獣の奏者〈1〉闘蛇編 (講談社文庫)

どの世界でも、痛みは同じ

 なんて、まっすぐに、世界の矛盾にむきあう小説だろう。怖いくらいだ。

 最初に「守人」シリーズを読んだ時には、それはかすかに感じるくらいでしたが、この「獣の奏者」ははっきりと感じました。

 ファンタジーと呼ばれるものを読んで怖い、と思ったのは、荻原規子さんの「空色勾玉」以来です。あの話を読んだ時に感じた不安感。

 世界には、知らずに目をつむっていた矛盾があることを指摘される。安定した世界だと思っていたのに、実はそうではない、と気づかされる。

 知らずに当たり前だと思って行っていることが、相手にとっては残酷であることに気づかされる。それがたとえ、獣であっても。

 

 「獣の奏者」は、一人の少女の話です。

 「闘蛇」と呼ばれる獣を操る村で育ち、後に「王獣」という、誰をも慣らしたことがない獣を心を通わせてゆく。

 その彼女を利用する者がいる。また、彼女の行為を禁忌とする一族がいる。

 彼女はそのどちらも良しとはせず、自分の信じた道をゆく。

 決して、自分勝手ではなく、自身も矛盾を抱えながら、彼女は決めた道を歩いてゆく。どんなの険しくても。

 

 私が感じた不安の正体は、きっと自分の卑怯さ、臆病さ。

 人から与えられている世界を、疑問に思わず受け止めている、その事実に気づいたからに他ならない。

 つむっていた目を開くのは痛いし、怖い。 開いてみえる景色が素晴らしい事は本当に少ない。

 でも、開かないと、美しい景色もみえないのだ。

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2009年6月 1日 (月)

ケツノポリス6 -ケツメイシ

ケツノポリス6
説教くさくないのが素敵

 ここのところ、ラップまじりの曲を聴くことが多いです。

 意外というか、意外でないというか、説教くさい歌詞が多かったりします。最初はいいなと思っても、だんだん鼻についてくる。

 そういう意味で、ケツメイシは控えめでいいと思う。

  

 ふざけた歌詞もあって、でもたまに真面目な歌詞がこっそり隠れてて。

 何度も聴いているうちにそういう控えめな、でも真摯な歌詞がじんわり心にしみこんできて、気がつくとくちずさむ。

 「心の声」という曲がお気に入り。

 「人は勝手な生き物 誰にも負けたくないのに 

 人に嫌われたくないから わざと負ける」

 その通りだと思う。そのことを素直に認めてしまうような、そんな曲がケツメイシにはとても多くて、まいってしまう。

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2009年5月26日 (火)

ブラック:ティー ー山本文緒

ブラック・ティー
バラの名前です

 小学生の頃、近所の酒屋でお菓子を万引きしていました。

 していました。つまり、一度や二度ではありません。でも10回には満たない回数だったと思います。

 手に入れたお菓子は、100円未満の駄菓子です。小学生にとって、100円以上のお菓子は高価で、恐れ多かった。

 万引きは犯罪ですが、もしお金を払っていたとしても、家にもって帰ってばれたら、買い食いの罪です。つまり、そのお菓子は二重の罪をもつものでした。

 お小遣いをもらっていなかったといえど、駄菓子を買うくらいのお金はありました。スリルを求めていたわけでもありません。

 第一、顔見知りの近所のお店です。もしかしたら、お店の人は知っていたのかもしれません。

 

 この本は、そういう、自分にとって心苦しい罪の数々を思い出させる短編ばかり。

 犯罪になるもの、犯罪ではないもの、そのどちらの場合も、主人公の心の奥底で、「悪いこと」と知っている、もしくは思っているが共通点。

 誰だって、思い出すとチクリと痛い罪がある。それは棘で、決して針のようではないけれど、でも、決して抜けない。

 その棘は皆がもっている。でも、だからといって正当化されはしない、あくまで個人的な痛み。それを抱えて、皆、生きている。

 山本さんの本は、いつもそうだ。やりきれないものを直視させる。

 

 小学生の私はある日、決心して、万引きにいっていたお店にいった。

 そしてお菓子の並ぶ棚のすみに、500円札をたたんで置いてきた。

 罪滅ぼしのつもりのその行為すら、最後まで正直に謝れなかった卑怯な思い出として、今、棘になっている。

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