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2006年7月29日 (土)

本当に驚いた

 体調が悪くて昨日からふせっていて、

頭が半分、おきていない状態でした。

昨日の記事もいつのまに書いたんだろうといった感じです。

 目を覚ましてようやく頭がすっきりして、

今日がもう土曜日の夜であることに本当に驚きました。

 いつの間に一日たっちゃったのだろう。

 明日はフジロックだというのに、何の支度もしていないよ。

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小説・捨ててゆく話/ちいさいモモちゃん - 松谷みよ子(BlogPet)

きのうがんももが、小説っぽい生活しなかった?
そしてきょう、ここに講談社がここまで離婚しなかった。
そして講談社の、人物は変化しなかったー。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年7月28日 (金)

小説・捨ててゆく話/ちいさいモモちゃん - 松谷みよ子

小説・捨てていく話 Book 小説・捨てていく話

著者:松谷 みよ子
販売元:筑摩書房
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大人の目線の「ちいさいモモちゃん」

ちいさいモモちゃん Book ちいさいモモちゃん

著者:菊池 貞雄,松谷 みよ子
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズ一作目

 「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズは、姉も私も大好きな童話でした。

 作者の松谷みよ子さんのライフワークは民話収集。この童話もどことなく昔話なイメージです。

 ママとモモちゃんと猫のプー、後に生まれてくるアカネちゃんが主な登場人物。

 一見、明るい童話なのですが、実は戦争、死について、環境汚染について等、重いテーマを扱っている話が多く、なかでもパパとママが離婚する経緯にいたっては、童話にしたからこその怖さがひしひしと感じます。

 パパが家に帰ってこなくて、パパの靴だけが帰ってくる話。

 ママのところにたびたびやってくる死神。

 パパは歩く木、ママは育つ木だから一緒にいると駄目になる、と魔法使いのおばあさんに言われ、パパとママはお別れすることを決めます。

 松谷みよ子さんの生活が背景にあるのはすぐわかります。

 ある日、図書館で、この「小説・捨てていく話」をみつけました。これは松谷さんの当時の生活の、一番つらい部分が、つらいままで書かれています。
 そして、「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズは、お子さんに、パパとママの離婚の理由を聞かれてお話しをつくったのが最初だと知りました。

 

 私は親になったことがないのでわかりませんが、幼い子供に離婚理由を聞かれて、ごまかす事なく、そして生臭くなく伝えられる親がどれだけいるでしょう。

 この本に書かれた心情を、なんら変化させることなく、かつ、子供が納得いく表現であらわした松谷さんを、本当にすごいと感じます。

 思えば民話はどこの国のものでも決して明るいだけではありません。

 影の塊を白い布でおおいかくすような、それでも影がもれでてしまうような雰囲気が、モモちゃんとアカネちゃんシリーズにもあって、この離婚までのくだりは、もはや民話といってさしつかえないと思います。

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永遠の野原 -逢坂 みえこ

永遠の野原 (1) Book 永遠の野原 (1)

著者:逢坂 みえこ
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

登場人物たちが、きちんと成長していく

   犬は外で飼うもので、もちろん洗ったりなんかしなくて、人間の残り物おじやが主食で、散歩の代わりに、鎖を外してしばらく放置。

 と、いうような、ペット愛好家がみたら憤死しそうな飼い方で、我が家は犬を飼っておりました。位置づけとしてはペットとしての犬ではなく、番犬なのでしょう。
 今も二匹飼われてて、私が実家に帰るたびにバイクの音に過剰に反応してくれます。

 猫もまた、ペットとしてでなく「ねずみとり」のお役目のために飼われているのでしょうが、四六時中一緒にいる分どうしたって情がわくので、犬より猫派になってしまっています。

 

 この本にでてくる「みかん」という名の犬は座敷犬です。だから主人公達との生活は、私と犬の関係よりも、私と猫の関係に近い。

 ただ、犬が飼い主にしてくれる、さりげない親切や行動は、猫とはあきらかに違う。

 主人公たちを守るがごとく騒音にたちむかったり、
 いつのまにか、近くで眠ってくれるようになったり、
 自分が苦しんでるときに布団に入ってきてくれたり。

 主人公達の、一言ではいいにくい、でも、皆が感じたことのあるちょっとした心の動きを補完するように、みかんの、そんな行動がそっとやさしく描かれている。

 決して、犬中心のマンガではないのに、犬との暮らしもしてみたいな、と、ふと思ってしまう。

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2006年7月27日 (木)

SAYURI

SAYURI プレミアム・エディション DVD SAYURI プレミアム・エディション

販売元:ポニーキャニオン
発売日:2006/07/05
Amazon.co.jpで詳細を確認する

桃井かおりさんとコン・リーがすばらしい

 この映画のキャッチコピーは「日本がうらやむJAPAN」だったと思いますが、上手なコピーだと思います。

 私の頭のなかにある「英国」が、失業者あふれて一年中曇り空のイギリスと違うように、アメリカ人、というか、西洋人があこがれる日本は、きっと本当の日本より美しいのだろうなと思うと、それをかいまみせてくれたこの映画は「ラスト・サムライ」同様、普通に楽しめました。

 主人公のサユリは一途で一生懸命だけど、どちらかというと、同じ町屋の「おカボちゃん」の一生の方がきになります。ちょっと、「嫌われ松子」っぽくて。

 そして、女同士の戦い、という点では、「紅夢」の方がこわかった。そういえば「紅夢」の主人公はコン・リーでした。この人は上目づかいの顔が本当に怖くてきれい。

 

 着物が右前とか、その提灯は中国だ!とか、なんで英語?とか言ってたら、「王さまと私」や「敦煌」や「ホテル・ビーナス」どころか、TVでやってる時代劇ほぼ全てに文句をつけなきゃいけません。

 リアリティを求めたいのなら、ドキュメンタリーをみればいいのです。

 少なくとも、「チート」や「ライジング・サン」みたいな否定的なイメージ満載より、よっぽどましだと思うけど。

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2006年7月26日 (水)

はてしない物語 -ミヒャエル・エンデ

はてしない物語 Book はてしない物語

著者:ミヒャエル・エンデ,上田 真而子,佐藤 真理子,Michael Ende
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

映画は嫌いじゃありませんが、底が浅いです

 何故、こんなに本の虫になったのかよくわかりません。

 祖父がやはり本好きだったので、その血を一番うけついだのだろうと家族には言われて育ちました。

 ただ、子供心に「本を読む」=国語ができると言われ続けていたのはなんとなく心外でした。当時の国語の授業でのメリットがまったく感じられなかったから。

 気に入ったら何度でも読みかえします。これについてはよく質問されました。今でもときおり聞かれます。

同じ映画を何度も観ることについては何も聞かれないのに、同じ本を何度も読むのは不思議に感じる方が多いようです。

 その理由を説明するのに上手い言葉がみあたらず、長いこと、困っていたのですが、何年か前にようやくぴったりする表現をみつけました。

 「そこに書かれている、その世界に遊びにいってるんです」。

 とはいえ、この説明で納得してくれる人は少ない。でも自己満足でかまわない。自分のなかでの気持ちにぴったりくる言葉がみつかっただけで十分です。

  

 「はてしない物語」は、文字通り、「その世界にいってしまった」読者の話。

 主人公が本を読む前編と、その世界に入り込んだ後編では、雰囲気がずいぶんとかわるので、はじめて読んだ中学生のときには後編の部分は少々読みにくかった。そしてその読みにくさゆえ、はまりました。

  

 後年、「新世紀エヴァンゲリオン」TV版を人から借りて、そのラストをみて、「なーんだ、はてしない物語の前編じゃん」と思いました。

 「はてしない物語」の本は、今の世界では姿を変えたようですね...。

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2006年7月25日 (火)

ヴァイタミン K -ケイコ・リー

ヴァイタミン K Music ヴァイタミン K

アーティスト:ケイコ・リー
販売元:ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2003/12/03
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この人のイメージが固まらない...

  背伸びして、マルサリス兄弟を聞いてたりなんかしたこともありますが、正統派ジャズを楽しめるほど、まだ成熟してはおりません。

 だから、気軽に楽しめるタイプ、ポップス要素強くアレンジされたものが好きです。

 ケイコ・リーさんは正統派ジャズシンガーだけど、なんとなく聞きやすい。特にこのアルバムは曲によって、本当、イメージが違って、ケイコ・リーさん自身がどういう方なのかわかりかねちゃうくらい。

 「The Flame」がお気に入り。これが聞きたくて手を出したのが最初です。

  

 4月か5月だったか、仕事の帰り道、道端にでていた、ライブハウスの看板。

本日の出演者欄が「ケイコ・リー」。

 すごくみたかったけど、手持ちのお金がなくて断念しました。すごく残念。

 

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2006年7月23日 (日)

たんぽぽのお酒 -レイ ブラッドベリ

たんぽぽのお酒 Book たんぽぽのお酒

著者:レイ ブラッドベリ
販売元:晶文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

夏には新しいスニーカー、だよね、やっぱり

 

 はじめてまともに徹夜したのは、中学生のとき。夏の初めでした。

試験勉強をしつつ、ラジオをきいているうちに、気がつくと外が明るい。

ついさっきまで真っ暗だったはずなのに。

 

 外が明るくなると、不思議な事に蛙の声より虫の声がめだつ。それに鳥の声が加わってくる。

 蛙も虫も鳥も、自分にとっては鳴いていることにすらきづかないほどBGM化しているから、声の持ち主が切り替わるときに鳴いている事にようやく気づく。そんな事もはじめて知った。

 そっと外にでると、少し肌寒く、薄く霧までたちこめているような気がする。

 庭の木にも野菜にも、朝露がびっしりついている。

 もうしばらくしたら、暖められて生きている植物のにおいを放つだろう、そして蒸発しきった頃、すっかり暑い夏の日になる。

   

 「たんぽぽのお酒」は夏のはじまりからおわりまで。

 冒頭のダグラスがおこなう夏の儀式。そしてそこにある夏は決して私とかぶるものではないのに、何故か、田舎の夜明けを思い出させる。

 そして同時に、今、よく散歩しにいく大きな欅がそびえたつ公園の、夜明けの雰囲気も思い出させる。

 1928年の夏も、1985年の夏も、2006年の夏だって、同じ。

 いつだって、夏のはじまりはわくわくさせる。 

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2006年7月22日 (土)

友達とのひととき

 木曜日、恋人同士の友達二人に会いました。

 二人とは遊び友達なので、もうすぐやってくるイベントの話をしながら、幸せな人たちは、のろける義務がある、と、しみじみ思う。

 だってこっちまでうれしくなる。

 

 金曜日、女友達に会いました。

 彼女は、多分、そう、多分なんだけど、木曜日の友達のことが好きだったんだと、最近気づきました。

 そして彼女もまた、私が最近、何故へたれているのかを多分うすうす気づいてる。

 けれど、私達はそれを口にはださない。聞きもしない。

 事情は知らない。

 けれど相手が言わないのならば、知らんふりをしてあげることだけしかできない。

 私たちはお互いが同じ気の使い方をしていることを感じながら、くだらない話に花をさかせる。

 その合間に、それぞれの相手についての最近の話題をさりげなく口にする。

 相手が、その人についての会話がしやすいように。

    

 今日、近所に住む女友達に会った。

 彼女の仕事の話を聞き、旦那についての話を聞き、最近はまっているものの話を聞く。

 私の仕事の話と、木曜日と金曜日の話と、自分の最近のヘタレ具合の状況を話す。

 所詮、他人事。聞こえは悪いけど、そういう気持ちを私も彼女も持っている。

 だから、意見はおしつけない。こう思うというコメントはしても。

 話そのものは否定されても、自分が否定されることはない事を、心の底から信じてるので、安心していろいろ話し、にこやかに別れた。

 

 悩みを話さないから大事な友達ではない、とか、全部話すから一番の友達とか、そんなつもりはまったくない。

 映画が大好きな友達には、映画の話を。本の趣味があう友達には本の話を。

 それだけのことだ。

 みんな、幸せでいてくれるといいな、と、心から思う。

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行けない理由(BlogPet)

昨日、ももんがが
「愛は静けさの中に」は、聾唖学校に赴任してきた教師とその生徒、そしてそこで働く、やはり聾唖の女の子、ドナの行けです。
って言ってたよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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蝶々の纏足・風葬の教室 -山田 詠美

蝶々の纏足・風葬の教室 Book 蝶々の纏足・風葬の教室

著者:山田 詠美
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

写真がありませんでしたが、「ひざまずいて足をお舐め 」が好きです

 

 「蝶々の纏足」を読んでファンになりました。中学生の時です。当時、新刊ででたばかりでした。

 とても気に入ったので学校に持っていって友達にすすめていたとき、近くにいた先生が本を手にとって、品の悪い笑い方でいいました。

 「この作家は、ヌードモデルやってる風俗嬢なんだぞ」

 そのせりふにショックをうけたのを覚えています。当時は中学生だったからとはいえ、ショックをうけたという事実にまたショックでした。

 今ならこういってやるのに。

 「立派な職業じゃん。だからなんだ?」

 

 あの先生は、山田詠美さんの著作を読んだことなんてなかったんだと、思います。

 

 「せつない気持ち」を、こんなに美しい文章で書く作家さんを他に知りません。

 しかもそれは、「機能美」の美しさ。よけいな飾り物も比喩もなく、「せつない」という感情を的確に伝える事、それを目指していった結果、副産物として美しさもでてきた、という風情な文章です。

 ご本人も言われているとおり、どの小説も「文章だけ抜き出したら純文学」だと思います。

 どの本も大好きですが、「熱帯安楽椅子」「ひざまずいて足をお舐め」「ぼくはビート」「トラッシュ」、「風味絶佳」が私のお気に入り。

 ちなみに初期の作品は舞台が六本木のクラブの話が多いです。

 田舎出身の私にとっては憧れというよりは別世界の場所でした。

 今、毎日、通勤しているこの六本木が、あの小説の舞台かと思うとなんとなく不思議な気分です。

 私にとっての六本木の遊び場は決してクラブではなく、せいぜい「青山ブックセンター」ですからw

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2006年7月21日 (金)

スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡

スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡

 最近、好みの展覧会がないなあと思いつつ、渋谷のBunkamuraのHPをチェックしていたら、M.C.エッシャーの展覧会を11月にやるとのこと。

 すごくたのしみです。

 2年ほど前にもエッシャー展はあったのですが、そのときもすばらしかった。

 エッシャーのあのだまし絵を効果的にみせるようにか、立体的な展示方法がとられていました。

 鳥と魚模様が繰り返される「空と水」をわっかにして天井につるし、中からみせるようにしたり、

 ネッカーの立方体もどきを、立体的なものにおこしてあったり(ペンローズの三角形だったかも。自信なし)

 今回がどういう展示かわからないけど、ハーヴ美術館から150点以上貸し出しみたいなこと書いてあるから、もしかしてシンプルな展覧会かもしれないけど。

   

 関係ない話ですが、エッシャーの絵をここにのせようと思って、絵画の著作権を調べてみました。本とおなじく作者の死後50年、かなあ、と思っていたのですが、そして原則的にはそうだったのですが、日本の場合は違いました。

 

 「日本は第二次大戦敗戦国なので、連合国側の絵画に関しては、作者の死後50年ではなく、60年半を経なければ、自由にならない、というペナルティがある」そうです。

 

 知らなかった。ってか、オランダは連合国だったのだろうか。

 ...連合国でした。

 いや、それ以前にまだ死後30年ちょっとしかたってないから、駄目だったんですけどねw。

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2006年7月20日 (木)

愛は静けさの中に

愛は静けさの中に DVD 愛は静けさの中に

販売元:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
発売日:2006/02/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ドナ役のマーリー・マトリンがとにかくきれい

 昔、手話で会話している方は、「声が出せない病気」だと思っていました。

 耳が聞こえないから結果として、発声する能力を身につけにくいとは思っても見ませんでした。
  想像力が足りないと、我ながら思います。

 

 姉と二人で手話をなんとなく勉強したことがあります。
 その時にはじめて、全てのの単語が決まっているわけではないことを知りました。

 

 例えば、「青」を示したいときに、ひげをそったばかりの色=青という意味であごをなでてもよければ、そのとき着ていた青色の服をさしてもいいわけです。

 言葉というものは、相手に伝えるための手段の一つにすぎないということを、そのとき実感しました。

  

 「愛は静けさの中に」は、聾唖学校に赴任してきた教師とその生徒、そしてそこで働く、やはり聾唖の女の子、ドナの話です。

 声を出すことに臆病になっていたドナが、声を出してみろ、と問い詰められ、「It is my voice!」と叫びながら泣き崩れる。
 自分のだしている音に自信がもてない怖さは、自分の気持ちを上手く言葉にできない時の比ではないだろうな、と思います。

 

 ドナが、海の音を体中で表現するシーンは、それとはあまりに対照的に、自信にみちている。
 波の音の、よせてかえすくりかえしも、一瞬、感じる静けさも、全て、そこには含まれていて、ああ、これは確かに海の音だ、と、納得をしてしまう。

 
 
 どちらがいいとか悪いとかではありません。
 ただ、ドナの、海の音としての手話が、音としての言葉に劣ってるようには思えない。
 むしろ、どの世界の言葉より、的確で、美しい。

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2006年7月19日 (水)

デッドエンドの思い出 -よしもと ばなな

デッドエンドの思い出 Book デッドエンドの思い出

著者:よしもと ばなな
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

うっかりしてると、すぐ泣かされる

 平行世界、俗にいう、パラレルワールドはSF小説にもパタリロにもでてくるので知ってはいましたが。

 SFというより、ちょいとニューエイジちっくというか宗教的というか、ある意味「逃げ」の発想で、ここのところ、強く思うときがありました。

 「ここでの私は、もう手を離しているけど、別の世界で、私はまだ手をつないでいる」
 少女ちっくな事はみとめます。
 でも、そう思うと、なんだか晴れ晴れとするのです。
 決してあったかくはなく、でも寒いわけでなく、5月くらいの涼しい風がふいた時の気分のよさに近い感じ。
 
 上手くことばにはできません。

 でもあえて無理やり言葉にすると、
 「私が望んでいるものは別の世界の私が既に行っていて、こっちの世界でかなえられないからといって自分が決して不幸というわけではない」 でしょうか。

 これでもまだ十分ではなく、今はまだ言葉が熟さないけれど、いつかは上手に表現したいな、と思っていました。

 

 そんな矢先、この「デッドエンドの思い出」を読んで、うちのめされました。
 この本に収録されている「おかあさーん!」のテーマがまさにこれでした。
しかももっと前向きに、もっと、誰もが共感できる形であらわしている。
  
 そのうえ、「ああ、誰もがどこかでたどりつく事なのか」と衝撃をうけた私に追い討ちをかけるように、その次の話、「あったかくなんかない」の冒頭は、その「誰もがたどりつく景色」についての文章でした。
 
 よしもとばななさんの話は、どれも好きですがうちのめされたのは初めてです。
さすが、ばななさん自身が「私にとって大切な本」とあとがきで書かれる事はあると、しみじみ思わざるをえません。

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2006年7月17日 (月)

村上龍料理小説集 - 村上 龍

村上龍料理小説集 講談社文庫 Book 村上龍料理小説集 講談社文庫

著者:村上 龍
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 春樹か龍かといわれると、龍派、なんだろうなあ、多分。

  食べ物エッセイは好きですが、食べ物をキーにした小説はあまり好きではありません。

 でも、これは別物。

 食べ物と物語が対でメインになっているから。

 どんな濃い料理にもまけない濃い話。どんな物語にもひけをとらない料理がでてきて、その料理を味わうように小説を読み込んでしまう。

  食べることと、快楽と、生きることはみな同じ。

 当たり前だけど、忘れがちなことを、この小説家は、そのことを気づかせないまま表現する。

 この小説のおかげで、シャンパンは電子音楽で、ブイヤベースは希望の味になる。

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2006年7月16日 (日)

行けない理由

 ずっと、行きたい場所があるのに、何故だか行けない。

 もう予定が入っている週末。 

 この予定さえ、なければ行けたのに。そう思いながらも、そんなとき、本当は、ちょっとほっとしていたりもしている。

 予定が入っていない週末。

 動く自分をぼーっと思いつつ、手に取った本をえんえん読んだり、何度もみたDVDをうっかりみつづけたりして、結局、その場所どころか、外に一歩もでられず。

 外にでられるのは夜半。もう、出かけられる時間じゃないから仕方ないと思ってようやくほっとしている自分を知っている。

  

 もう二度と行かない、と決めてしまうには、大好きすぎる場所なので、

行きたいのに。行って、他の思い出をかぶせていきたいのに。

 

 予定が入っていなかった今日も、行くことはできなかった。けれど理由はちょっと違う。

 でかけようとしたら、バイクシートの下には、よちよち歩きの子猫と親猫。

 そういえば、昼間からずっと鳴き声が聞こえてた。しばらく、すみつく気だろうか。

 明日は朝から予定が入っているから、どうやら今週も無理みたいだ。

 猫たちを、うらんでいいのか感謝していいのかわからないまま、

 とりあえず、牛乳だけ差し入れをしてみる。

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Dolphins -Original Soundtrack

Dolphins (2000 Film) Music Dolphins (2000 Film)

アーティスト:Original Soundtrack
販売元:Ark 21
発売日:2000/05/09
Amazon.co.jpで詳細を確認する

無条件にのんきな夏がやってくる

 とりあえず、Stingつながりのあるものには手を出してしまいます。

 これもその一つ。IMAX シアターのドキュメンタリー映画「DOLPHINS」のサントラですが、ほとんどがStingの曲をアレンジしたもの。元の曲のイメージを壊さぬまま、海のイメージがプラスされている。すごいなあ。

 「DOLPHINS」そのものはみていません。 だから、これはあくまで私の貧困なイメージですが。

 間違いなく、暖かな気候な土地。常夏でなければ、季節は絶対に夏。

 海は砂浜もあるけれど、すぐ深くなっているのがわかる、とてもとても青い色。

 その海をみながら、朝からお酒を飲んじゃう。そんで泳いじゃう。

 泳いでいる間に、みるみるうちに気温はあがってきて、夏の暑さになってゆく。

 夕暮れになるまでぼーっとして、夕日をみるときだけ、ちょっと感傷的になったりして、

 それでもしっかり夜になっちゃうと、また元気になって、皆と騒いで。

 酔った頭で空をみあげると、明日も晴れそうな星空で、幸せをかみしめる。

 幸せ、だなんてことをあえて感じた自分に照れて、また皆で騒いで、眠る。

  

 そんな生活、したこともないのに。

 映画から、TVから、小説から、私に蓄積された夏の情報が全てひきだされて、

 とりあえず、夏を楽しみに思える。そんなアルバム。

 

 Stingの曲のなかでこのアルバムにも収録されている「When We Dance」というきれいな曲がありますが、それをもじった「When Dolphins Dance」というタイトルの曲も収録されています。同じ曲のアレンジと思いきや、この曲の元ネタは「Englishman In NY」。

 うーん、やるなあw。

 

 

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2006年7月15日 (土)

バビロンまで何マイル? - 川原 泉(BlogPet)

今日、ももんがが
受け取る側にその何故がない場合には、やっぱり良い物でも良い、とは思えないのじゃないかと思います。
って言ってたよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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何故を5回

「何故」を5回繰り返すと、問題は解決する。

 会社で、上司が言っていた。
 答えに対して再度問いかけすることで本当の理由がみえてくる。
 仕事では、この方法は確かに有効だった。
 
 でも、仕事以外では、けっして有効なことばかりじゃない。
 

 本当の理由なんてわかってる。

 それをみとめたくなくて、私の頭は私をだまそうとしているのに、

 「何故」を5回繰り返してどうするんだ、私。 

 

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2006年7月14日 (金)

劇団夢の遊眠社「半神」

Video 劇団夢の遊眠社「半神」

販売元:アニプレックス
発売日:1999/04/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

戯曲本も、原作マンガも読んじゃいました

 劇団夢の遊眠社がなくなるぎりぎりにファンになりました。

だから、舞台としてみたのは一度きり。後はNHKでの特集やDVDばかりです。

 主宰 野田秀樹さんが現在活動しているNODA・MAPも好きですが、

遊眠社時代の「半神」と「贋作 桜の森の満開の下」が一番好きなのは、元ネタになったものが好きだからだと思います。

 「贋作 桜の森の満開の下」は坂口安吾の短編いくつかの組み合わせ。

 「半神」は萩尾さんのマンガを下敷きに、レイ・ブラッドベリの短編を組み合わせ。

 朗読のようなせりふまわしで、ブラッドベリの一文を語る。全然、話の筋とはかみあっていないのに、妙にしっくりくるのが不思議です。

 

 縦横無人に飛び回る役者と、いきおいのあるせりふまわしにパワーをもらい、

 ラストはいつも何かさみしいのに、決して暗くはない。

 それが主人公が、もうこれからは一人で立ち上がらなければならない事を実感して、だからこそのさみしさだからかもしれない。

 

 

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2006年7月13日 (木)

上弦の月を喰べる獅子 -夢枕 獏

Book 上弦の月を喰べる獅子〈上〉

著者:夢枕 獏
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

タイトルで座布団一枚

 いい映画はたとえ難しくたって、子供でも好きになる。

 それはわかります。

 目利きの人が言う。「良い物は普遍である。誰がみても感じる良さがなければ駄目だ」

 それもわからなくもないです。

  

 けれど、受け取る側にその準備がない場合には、やっぱり良い物でも良い、とは思えないのじゃないかと思います。

 少なくとも私は、大抵の場合、「一期一会」といわれても、その時の自分がそれを求めていなければ、良い物だろうといらないのです。

 何年も前から知っていた友達をふいに好きになったりするような出会いが、映画やものや本だってある。

 

 「上弦の月を喰べる獅子」は、最初に買ったときに読んだまま放置し、4,5年後、再読したときに、そのままはまりました。

今となっては、最初に読んだときに、何故はまらなかったのかが不思議なほどです。

 螺旋収集家と岩手の童話作家。

 「問い」に答えるために、頂上をめざす、ありとあらゆる生き物達と、その進化の過程。

 「正しい問いはそれ自体が既に答えである」 という言葉に衝撃をうけ、

 また、この「問い」の答えを正しく答えきる主人公にやられました。

 「汝は何者であるか?」

  

 最初に読んだ頃、自分はこの「問い」が難しいと思えるほどには熟成していなかったんだろうな、きっと。

 ...目利きといわれる方々の場合は、常にその準備を持つことこそが、「目利き」たるものの資格なのでしょう。

 私はどうも目利きにはなれないらしい。

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2006年7月11日 (火)

攻殻機動隊 -士郎 正宗

攻殻機動隊 (1)    KCデラックス Book 攻殻機動隊 (1) KCデラックス

著者:士郎 正宗
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

どこまで本当かわからない

 今さら、こんなところに書くまでもない名作ですが。

 映画にもなってるし、

 「スタンドアローンコンプレックス」シリーズがテレビでもやっているし。

 でも、私は原作マンガ派。

  

 なんといっても、コマの端々に書かれている説明が、たまらない。

 どこまでが士郎さんのイメージなのか、実際にある技術、用語なのかが、浅学な私にゃわかりませんが、そのへんがまた、うんちく好きな私にはそそられます。

 そして、マトリックスの元ネタになった、この世界。

 自分とネットがつながり、他人とのコミュニケーションがゴーストぎりぎりまでできる。

 ...仕事柄、ついつい、その情報処理能力を考えてしまい、「やっぱり脳ってすごい」なんて考えちゃったりもします。

  

 今、スタンドアローンコンプレックスにはまっている母のおかげで、

 姪は「ばとーさんは天然オイル入れてくれるよー」と、ふいにいったりします。

 だから、保育園で言っても通じないってばw。

 

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バビロンまで何マイル? - 川原 泉

バビロンまで何マイル? Book バビロンまで何マイル?

著者:川原 泉
販売元:白泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「中国の壷」が結構好きですが、画像なかったので。

 うんちく好きです。

 本もマンガもなめるようにして読むので、無駄に雑学増えてます。

 じゃあそれが仕事の役にたつかというとそうでもない。

 飲み会のネタになるにしても、あまりに「皆が知らない知識」ばかりだと、ただの「ひけらかし」になってしまいます。

 そうでなくともうれしくて「ちょいと自慢げ」に話しているだろうし。

 で、一歩ひいた態度をとられたりする。そして後悔する。

 ...その結果、「知っていても知らないふりをする」事がよくあったりします。

 そのくせ、誰かがそれを知っていて、ちょいと自慢げにその説明していたりするのをみて、歯軋りしちゃったりする。ああ、小心者のくせに自慢したがり。ヤダヤダ。

 だから、同じネタで盛り上がれる人がいると、すごくすごくうれしい。

 安心して話せるってすばらしい。

 カーラ君、こと、川原泉さんは、そんな思いをした経験はないのだろうか?と、彼女のマンガを読むたびに思います。

 「難しい事を簡単にしかもちょいと興味をもっちゃうくらい」な説明を、マンガの中に展開できちゃう彼女です。

 きっと彼女と話す機会があったとしたら、私はむちゃくちゃ安心して話すでしょう。彼女の博学といったら、私なんて足元にもおよばないでしょうから。

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2006年7月 9日 (日)

実家にて

 実家に帰ってもいつも、バタバタしていてゆっくり散歩なんてしていないので、

近所の川にまだ、ホタルがいるなんて知らなかった。

 今日は雨上がりのうす曇りで、ぼんやりした月がでてて、

 狭い、急な流れの川は丈高い草で多いつくされていて、

 そのなかを、かぼそくホタルは光ってた。

  

 こんな景色を日常みられる事が今では贅沢だ、なんて、感じてしまうほど、もう、外の人間なのだと実感する。

 当たり前の山、当たり前のホタル。それがけっして当たり前ではない事は、いつもなくなってから気づく。

 私はいつもきづくのがおそすぎる。

 きづくのが遅いならいっその事、当たり前じゃなくなることに慣れてしまいたいと思うほどに。

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2006年7月 8日 (土)

THE LOVE ROCKS -DREAMS COME TRUE

THE LOVE ROCKS (通常盤) Music THE LOVE ROCKS (通常盤)

アーティスト:DREAMS COME TRUE
販売元:ユニバーサルJ
発売日:2006/02/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

幸いなことにまだ、何も記憶がついていないので純粋に聞ける

 なんとなく、以前の歌にでてくる、それぞれの女の子達を思い出させる歌詞。

 「WIFEHOOD ステ奥伝説 PART1」はぜったいぜったい「あなたにサラダ」の女の子。

 「SUNSHINE」と「ていうか」は同じ女の子で、「どうやって忘れよう」にでてくる友達。

 「何度でも」は「明日がまたくる」「いつの間に」の女の子が、たちなおってきているのかな。

 「めまい」のでだしのメロディラインがとても好きだ。

だからだろうか、「The Signs OF Love」の彼女の別れのシーンのようだ。

 「空を読む」はなんでだろう?「眼鏡越しの空」の子のような気がする。

 

 そして、全体的にせつない歌詞がおおいけれど、それぞれの女の子ががんばっている。

 そんな気がして、元気がでる。

 

空を読む   歌詞:吉田美和

思い通りになんていかない 愛したい人には伝わらない
明日が読めるわけでもないのに どうして空を見上げてるんだろう?

月の裏側のようにここからは見えない あなたの影を
全部見渡す ロケットがあればいいのに

思い通りになんていかない 愛したい人には伝わらない
明日が読めるわけでもないのに どうして空を見上げてるんだろう?

強くなくてごめんね 誰に言ってんのかな? 涙と溜め息
全部詰め込む ポケットがあればいいのに

思い通りにいかなくても 愛する人に伝えたいことが
明日を読めるわけでもないのに たぶんわたしに上を向かせる

あなたは何を思うのだろう この空から何を読むのだろう
永遠に知ることのない明日を くちびる噛みながらそれでも待ってる

どうして人は空を 見上げるんだろう?

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2006年7月 7日 (金)

キリンと暮らす、クジラと眠る -ミヒャエル ゾーヴァ,アクセル ハッケ(BlogPet)

いつも、ももんがは
何故、怒られるのかわからないまま読み進んだら、その何ページ目か後に、主人公がやはり父親に同じ事をジャンする場面がありました。
とか思ってたらしいの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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ジャン・コクトー/オルフェ

ジャン・コクトー/オルフェ DVD ジャン・コクトー/オルフェ

販売元:アイ・ヴィー・シー
発売日:2005/09/28
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ジャン・マレーの彫刻のようなお顔ったらない

 西村玲子さんのエッセイで紹介されていて興味を持った。

  鏡を使って表現された死の世界。モノクロの、シンプルなつくり。

 詩人であるオルフェをひきつけてしまう、その死の世界の美しさ、

そして死の世界の王女?をひきつけてしまう、オルフェ役のジャン・マレーの美しさは、

どちらも、なっとくものの迫力。

 これにひかれて、「美女と野獣」もみてみた。
 野獣の館の燭台が人間の手でできていて、たったそれだけで「魔法の館」の不思議さを示していてこれもすばらしかった。

 ただ、ジャン・コクトーにははまらなかった。

 これだけだったら忘れちゃっていたかもしれないけど。

 「オルフェ」を観た1ヶ月後位のこと。

 Stingのプロモーションビデオを買い、 「We'll be Together」 を観て、あっ!となった。

 「オルフェ」の最初のシーン、カフェで、死の世界の王女と出会うシーンをそのままぱくっていた。

しかも、オルフェ役はSting、王女役は当時の恋人で今は妻のトゥルーデイ。

 王女役が今まで連れて歩いていた詩人(Stingが二役)を捨てて、オルフェ(Sting)に声をかける。

 カフェでの乱闘シーンの構図。どれもこれもそのまんま。

 元ネタ知っているだけに、このプロモーションビデオは、今でも一番お気に入り。

 でも、どうしてオルフェなんだろう???

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2006年7月 6日 (木)

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 -江國 香織

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 Book 薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木

著者:江國 香織
販売元:集英社
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れいこの最後のせりふがせつない


 なんて遠くまできてしまったんだろう、と、ひとごとのようにあらためて驚くことが最近多い。

 今、どこにいるのか、わからないほどに。

 もう戻り方なんてわからない。そもそも戻る場所が残っているのか知らない。

 気がつくと、友達は戻れるうちに戻っていた。そういえば、彼女達はみな、旅行が好きだった。

 旅行は旅行で、生活ではないことを、知っていた。

 旅行がもともと苦手な私だけが、振り返りもせず、

どれだけ遠くまできているか確認もせず、遠くまで歩きすぎて、帰り道を忘れている。

   

 登場人物の一人、陶子は、必ず「遠くにいきすぎないように」気をつけている。

 「自分は旅行好きなタイプじゃないから」と彼女は思っているが、

 必ず帰れるようにしている彼女は、ためらいもせず旅行をするのだろう、何度も。

 陶子がちょっとだけうらやましくて、ちょっとだけ、腹立たしい。

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2006年7月 5日 (水)

後宮小説 -酒見 賢一

Book 後宮小説

著者:酒見 賢一
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「うしろのみやしょうせつ」と、最初読んだくらいに初心だった頃

 忙しい農家の生活のなかで、その合間をぬうように母は内職で着物の仕立てをし、ときおりこっそり、お菓子を買ったりしてくれました。

 あれは中学生の頃、その呉服屋さんに行った帰りか、お正月の買い物のときか覚えていませんが、本屋で母が、本を買ってくれるといいました。

 当時、私にとってハードカバーは憧れで、自分のおこづかいで買うことはもちろん、買い与えられることもありませんでしたから、どれにしようか迷った挙句、新刊本だった「後宮小説」を手にとりました。

 理由は「第一回ファンタジーノベル賞受賞作」だったから。中国文学ちっくなところも気に入ったから。

 けれど、母はちょっと眉をひそめ、本当にそれでいいのか、と何度も念を押しました。

 あまりに何度も言うので不思議になったことを覚えています。

 

 家に帰り、さっそく読み始めたら、ある文章で疑問がわきました。

 それはとある死に方で死んだらしい帝は心臓麻痺として発表されたという文章でした。

 その死に方の意味たるものを当時は薄々としか知りません。

 私が思っているような死に方じゃないのか? 

 ここに書いてあるとおり、本当は心臓麻痺の事だったのか?

 で、近くにいた母に聞きました。

 「お母さん、腹上死ってなあに?」

 母は顔をそむけ、怒ったように「そういうこともあるんだよ」と言うばかりです。

 きちんと答えてくれない母に再度、「腹上死って心臓麻痺と違うよね?」と聞くと、

 「違うに決まっているでしょ」と、もっと怒ります。

 何故、怒られるのかわからないまま読み進んだら、その何ページ目か後に、主人公がやはり父親に同じ事を質問する場面がありました。

 しまった。質問するんじゃなかった。そう思いました。

 

 念のため、「後宮小説」は、極上かつ笑える、そして、あくまでファンタジー小説です。

 母に、そう言ったとしても、きっと信じてはもらえなかっただろうけど。

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2006年7月 4日 (火)

長い長いさんぽ -須藤 真澄

長い長いさんぽ  ビームコミックス Book 長い長いさんぽ ビームコミックス

著者:須藤 真澄
販売元:エンターブレイン
Amazon.co.jpで詳細を確認する

何度読んでも、泣かずにはいられない

 小学生の時にもらってきた猫は、私にとって特別だった。

 私が学校から帰ってくるのを近所の石垣の上で待っている猫だった。

 テスト勉強しているときは、居眠りをしながら、私が寝るのを待っていた。

 私のベッドを占領し、私の目の前で何度もお産をした。

 それなのに、「彼女」が死ぬとき、私は傍にいなかった。

 

 病気だったのはわかっていた。 死んじゃうのもわかっていた。

 なのに、ついていてあげなかった。

 ある朝、起きたら、眼をあけたまま、苦痛な顔のまま、固まっていた。

ごめんね、といってももう遅い。

 「長い長いさんぽ」は須藤 真澄さんが、マンガにもした家族「ゆず」が病気になり、死んでしまい、それからの須藤さんを書いた話。

 須藤さんの「ゆず」への愛情はなみなみならない。そしてそれ以上に、自分の「ゆず」への愛情への冷静さはものすごくて、誰も彼女に何もいえないだろう。

 読んで、私は「彼女」を思い出し、またぽろぽろと泣く。

 「彼女」と一緒の幸せな日々を思い出す。

 

 16歳生きた「彼女」は子供を何匹も生んだ。

 実家には「彼女」の孫が、今日もきっと冷蔵庫の上で眠ってる。

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2006年7月 2日 (日)

願いをかなえるための方法

 ノストラダムスの予言が有効だった頃、私の願いは、

「世界が終わる時に、思い浮かべる相手がいること」でした。

恋人でも伴侶でもある必要はなく、自分が思う相手がいれば、それでいい。

 その願いがかなってから、少し貪欲になって、

「その人が、私の顔を思い浮かべてくれる事」という願いがプラスされました。

 予言の年がきて、そして結局、世界は終わらなかったけれど、その願いもかなっていた私は予言なんて怖くありませんでした。

 

 そして、いつしか、そんな願いをもっていたことも忘れるようになっていました。

 

 最近、ちょっとずつ、元気になろうとしていたりします。

それが悔しかったりもします。

元気になることは、あきらめることでもあるので。

そしてあきらめるということは、最初の願いが、今、かなえられていない事になるので。

 

 「元気になれば、2つめの願いだって、またかなえられるときがくる」

 励ます気持ちは、そんな楽観的な方法を示しますが、

 「あきらめなければ、確実に願いはかなう。少なくとも最初の願いは」

 と、悔しい気持ちが悪魔なことをささやいたりもする、今日、このごろ。

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キリンと暮らす、クジラと眠る -ミヒャエル ゾーヴァ,アクセル ハッケ

キリンと暮らす、クジラと眠る Book キリンと暮らす、クジラと眠る

著者:ミヒャエル ゾーヴァ,アクセル ハッケ
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

この本は、今週末、家に届きます

 好みを同じくする友達とでかけた際に、二人でひかれたポストカードがミヒャエル・ゾーヴァのものでした。

 ぬいぐるみなのかほんものなのかわからない小さなウサギが列車の座席に座っている絵。

 フロックコートにみえるような羽をまとったカラスが、田園風景の中を歩く絵。

 決して明るい色彩ではありません。クールなわけでもありません。

 たとえていうなら、原色濃い色のついてたぬいぐるみを、何年も何年も子供が使った結果、色あせて、もう洗ってもおちないくすみがつき、ちょっと触ると湿った感じがするような、それでも捨てられないぬいぐるみの色。そんな色で、人や動物が描かれています。

 後々、「ちいさなちいさな王様」という本をみつけ、この絵の作者が「ミヒャエル・ゾーヴァ」という名前で、映画「アメリ」の美術をてがけたこともしりました。

 「アメリ」にでてくるのしゃべるインテリア達は確かにゾーヴァ的。みていたのに、DVDも持っているのに、気づかなかったのがちょっと悔しい。

 

 ミヒャエル・エンデの世界の、明るくなりきれない感じと、ミヒャエル・ゾーヴァの世界の、ちょっと湿った温かさは似ている気がします。

  それを、ドイツらしい、といったら、大雑把すぎる表現なんでしょうね、きっと。

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M:I:3

M:I:3 公式HP

映画の日なのでみてきました。

トム・クルーズは嫌いじゃないです。

ミッション・インポッシブルは、1よりも2が好きです。

で、3。

面白かったのですが、なんというか、テンポがよすぎて、ストーリーが終えませんでした。

ノリで流してしまえばいい映画、というのはあるのでしょうが、

今回のこれは、ストーリーが気になって仕方ありません。

こういうとき、原作があればすぐ読むのですが、多分、これはない..だろうなあ、多分。

仕方なく、ぐぐって、他の人の解釈を探してます。なんか屈辱w。

そして、関係ないけど、

2の時に、あんなに生死をともにしたのに、やっぱり別れちゃっているのか、イーサン・ハントw

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2006年7月 1日 (土)

魔がさしてしまった

 今までずーと誘われても断っていたのですが、

とあるきっかけで、友人の誘いをうけてとうとう入っちゃいました、Mixi...。

 実は他のSNSには入っていたのですが、それは完全に「現実でも知り合い」オンリーのものだったので、「家に帰ってからの交流の場」としてとらえてました。

 だからそれは別格として、基本的にこのブログや他の日記等も、現実での知り合いには一切教えていません。

 だって、そんなことしたら、恥ずかしくてなんもかけませんし。

 と、大多数がそういうものだと思っていたら、そうでもないのですね。

 ログインしていたら、知り合いの多くは本名を思いっきり公開してました。

 そうか、いまどきはそういうものなのか。

 ネットは「仮想現実」。現実とは違うものという自分の考えはもはや古い世代なのかもしれないな、と、ちょいと思いました。

 と思いつつも、やっぱり本名出す勇気はなくて、現実の友達につっこみを入れられてしまいましたけど。

 

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