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2006年9月30日 (土)

時間をかけて

 会うと嬉しい。

 同時に、何もできないという事実に打ちのめされて悲しい。

 でも悲しいということを、まわりに気づかれるわけにはいかないから必死に隠す。

 だから、会っている間中、おそろしくつらい。

 でも、会わないと、寂しいのだ。

  

 もうこれは、私だけの問題で、相手にはなおせない。

 処方薬は時間しかないとわかっているが。

 時間をかけて、寂しいのになれた方がいいのか。

 時間をかけて、つらいのになれた方がいいのか。

 どちらとも決めかねて、また、本日もつらいめにあいにいく。

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家守綺譚 -梨木 香歩

家守綺譚 Book 家守綺譚

著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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文庫化されてます

 東と西の二方が垣根で区切られているせいなのか、種々雑多な木が生い茂っているからなのか、その場所だけがいつもひんやりと湿り気がある。

 そこに毎年、律儀に生えるきのこがある。

 巨大なマッシュルームとしかいいようのない、そのきのこは冗談ではなく私の頭より大きい。

 誰もそれがなんなのか調べたことはない。

 

 坪庭には見立ての橋がかかっている。無粋にも、その橋の下に本当に水を引こうとした父に逆らうようにして、庭はその年から苔むしはじめ、今では立派な苔で埋め尽くされている。

 綺麗だね、と思うだけだ。

  

 昔の家にしてはめずらしい大きな玄関の戸は、格子戸だが障子ではなく、すりガラスが入っている。そのすりガラスにはいつも、人の影が落ちている。

 昼間は外の光をうけ、夜は外灯の光をあびて、少々背の低い人影はいつまでも誰かがあけてくれるのを待っているかのようだ。

 気味が悪いね、といいつつ、誰もとりかえようともしない。

 

 一人で留守番をしていると、時折、梁がぎしっとなる。無視して本を読み続けると、梁ばかりでなく、柱もみしみしいい始める。奥座敷からガタガタ音がするときもある。

 古いのだから仕方がない、としか思ったことはない。

 

  かように、古い家にはよくわからない事が起こる。ただ、わからないだけで不思議ではない。よくあることだ。

 「家守綺譚」の主人公も、そうやってうけながす。驚くよりも、受け入れる。そういう事もあるのだろう、と、思うと、何も不思議なことはない。

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2006年9月28日 (木)

ラビリンス -STING

ラビリンス Music ラビリンス

アーティスト:スティング
販売元:ユニバーサルクラシック
発売日:2006/09/27
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あいかわらずかっこいいです

 

 久々にツボにはまったアルバム、「Sacred Love」から3年ぶり、ようやく新しいアルバムをだしてくれた思ったら、ジャンルはクラシックアルバムでした。この方は一体どこまでいっちゃうんでしょう。

 とはいえ、もともと純粋なロックらしい曲は少ないし、オペラやったり、「ピーターとおおかみ」の朗読やったりしているのでいつもの事といえばいつもの事なのですが。

 

 今回は、リュート奏者、エディン・カラマーゾフという方のリュート、アーチリュートのみをBGMに歌っています。そして、何曲かはSting自身がアーチリュートを弾いているようですが、Sting自身がつくった曲はありません。ほぼ全てがジョン・ダウランドという、17世紀の作曲家のものです。

 リュートは琵琶に似ているようですが、楽器音痴な私には、琵琶どころか、この音色がアコースティックギターといわれてもきっと気がつかなかったでしょう。

 そして、ジョン・ダウランドという作曲家の事など全く知りません。かろうじて、「流れよ、わが涙」というタイトルに聞き覚えがある程度です。

 でも、今回、Stingをとおして、知る事ができた。リュートの、何故か懐かしい、と感じる音色も、驚くほどStingが作る曲のイメージに似た曲を作るこの作曲家のことも。

 ジャズもオペラも、考えてみればスタートはStingのアルバムが最初でした。ある意味、お得なことだな、とつくづく思います。音楽の時間がもう持てない大人に、こんなすばらしい音楽がある、と教えてくれる。

 秋の夜長にリュートの音色。

 合間に入る朗読と、あの独特の歌い方。

 どこまでも、かっこいい人だなあ、と惚れ直さずにはいられません。

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場所 -瀬戸内 寂聴

場所 Book 場所

著者:瀬戸内 寂聴
販売元:新潮社
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ドラマを先にみたせいか、イメージは宮沢りえさんです..

 林扶美子さん、宇野千代さん、岡本かの子さん、等々。

 今よりも、女性が正直に生きることが許されなかった時代に、自分の欲望に正直だったこの人達は、決して世間一般的には模範的な生活ではなかったかもしれません。

 そしてそういう人達が、じゃあ、今の世の中では許されるかというかというとそういうわけでもありません。

 潔ければ何でもいいと思っているわけではありません。やはり不道徳なものは不道徳かもしれませんが。

 作家自身の評価と、作品の評価は別と考えるべきでしょう。

  

 宮沢りえさん扮する瀬戸内 寂聴さんの半生を描いたドラマをみて興味がわきました。

 「場所」は、瀬戸内さん自身の過去に関係する様々な土地に、瀬戸内さん自身が再度、もしくははじめて訪れる形で書かれた私小説です。

 それは冷え冷えとするほど冷たい眼で、「一人の女性」として自分をみている作家の文章でした。

 作家だからなのか。

 現在の、出家されたという状態が生み出すものなのか。

 どちらにしろ、なんて怖いことをしているのだろう、という印象を強くもちました。

 この小説からみえる彼女自身は怖いけれど、そこから生み出されたこの作品は、怖いどころか恐ろしい。

 私が女だからなのか。

 自分にも、思い当たるふしがあるからなのか。

 それはわからないけれど。

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2006年9月27日 (水)

ナイトメア-・ビフォア・クリスマス

ティム・バートンナイトメアー・ビフォア・クリスマス Book ティム・バートンナイトメアー・ビフォア・クリスマス

著者:明日賀 じゅん
販売元:講談社
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おすすめはDVDのほうです..

 

 デパートでは何年も前からこの時期はハロウィングッズであふれかえってますが。

 子供たちが家のドアをノックしてくれたら仮装してでむかえる、なんてのは憧れですが。

 日本ではハロウィンは習慣化はしないでしょう。

 

 バレンタインデーとクリスマスは、「お歳暮」「つけとどけ」に共通するものだから、根付いたのだろうと思いますが、ハロウィンはそれに相当するものが見当たらない。

 お祭り...とも違う。あれはどちらかといえば「感謝祭」。

 お盆に近いかもしれないけど、お盆はご先祖さま。ハロウィンは悪霊除けだからやっぱりちょっと違う。

 それに、ハロウィンは子供が主役の行事。子供が夜に家々をまわる、なんて、それこそ学校やPTAを巻き込んでの大仕事。気軽に習慣化できるものでもないでしょう。

 パンプキンパイ、も、日本ではいまいち。

 大体、日本のかぼちゃはパイにもランタンにも似合わない。スーパーで売っている薄緑色の皮をしたかぼちゃは、「西洋かぼちゃ」という名前に似合わずやっぱり冬至に、あずきと煮て食べるのがふさわしい。

 

 だから、せいぜいハロウィングッズをちょこっと飾り、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」をみるくらい。

 ただし、これはハロウィンの後の話ですが。

 関係ないけど、イースターの行事もちょっとかわいくてあこがれます。でもこちらもやっぱり根付きそうもない。卵を隠す庭などない家の方が多いですから。

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2006年9月26日 (火)

私が美味だった日本版トーマス(BlogPet)

ももんがが
トーマスが日本で有名になる前、私が美味だった日本版トーマス、「きかんしゃやえもん」をみせても、にせもんだ!
とか思ってるよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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美味礼賛 -ブリア・サヴァラン

美味礼賛 Book 美味礼賛

著者:ブリア サヴァラン
販売元:白水社
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おいしい文章の元祖

 森茉莉さんのエッセイでたびたびブリア・サヴァランという名前、美味礼賛という本の名前は目にしてました。

 サヴァランという人が、ブリオッシュに洋酒をしみこませたケーキ、サバランの作者?であるということだけは知っていました。

 「美味礼賛」というタイトルから勝手に、小難しい本もしくは評論文で、現在では入手が困難な古典なんだと思っていたら、学校の図書館にあってびっくり。さっそく借りました。

 中身は美味しいものをこよなく愛す、食に対するラブレターのような本でした。

 

 味覚の生理学、なんて邦題が昔はついていたようです。でも実際、「酢は体にいい」なんていう、現在知られているような常識がここでは否定されていたり、やせる方法、なんてのも、ちょっと眉唾。

 でもそれについては目をつぶってあげたい。

 「ふだん何を食べているのか教えてごらん、どんな人だか当ててみせよう」 なんて言われちゃったら、生半可な栄養学なんて関係ない。

 自分が美味しいと思ったものを、最大限、美味しく食べられるように努力して、体中で味わって食べる。

 それ以上に、身体にいい事なんてないと思うから。

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2006年9月25日 (月)

モロッコ

モロッコ(トールケース) DVD モロッコ(トールケース)

販売元:アイ・ヴィー・シー
発売日:2002/12/16
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ラスト、はだしになるその足が美しい

 もう15年ほど前に他界している私の祖父の血に、一番影響をうけているのは私だろうと、よく言われます。

 なんのことはありません。雑学が人より豊富なのと、本を読むところが同じなだけです。

 

 祖父の座右の銘は「晴耕雨読」でした。

 どんな漢字もすらすら読み、書き、大抵の四字熟語やことわざの意味を知っていて、そして会話のなかで川柳をさらりと言うのが上手な人でした。

 もともと家を継ぐはずではなかった祖父は当時のモダンボーイだったらしく、ビリヤードをやっている写真や、ドイツ語らしきメモが書かれたメモ帳が残っています。

 映画も好きで、「モロッコ」をリバイバルでなく観たようです。

 祖父の蔵書には、旧仮名遣いの、モンテ・クリスト伯、三銃士、吉川英治文学集、などがありました。

 幼い頃、この祖父に毎日、思いつきで話しただろう、おとぎ話を聴きながら眠りました。ファンタジー好きは、ここからきているのかもしれません。

 

 祖父は、マレーネ・ディードリッヒが亡くなった年の夏に、おなじように去っていきました。

 私だけが知っていることですが。

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2006年9月24日 (日)

はれた日は学校をやすんで -西原 理恵子

はれた日は学校をやすんで Book はれた日は学校をやすんで

著者:西原 理恵子
販売元:双葉社
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他の本も好きです

 普段おちゃらけている人だって、悩みがないなんてわけはない。

  

 明るくしているからといって、心配ごとがないとは限らない。

 

 勉強ができないからといって、何も考えていないわけじゃない。

 

 悪い事をしているからといって、自分勝手なわけじゃない。

 

 誰だって同じだけ、考えて悩んで泣いて笑ってる。

 

 ただ、それをみせるかみせないだけで。

 

 西原理恵子さんの漫画は、素敵な、でも、生きづらい性格の登場人物ばかりでる。

 多分誰もが、「私みたいだ。本当は私もこうなのに。」と共感するだろう。

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2006年9月23日 (土)

今、幸せですか? -後編

 あれからずっと気になっていた。たまに思い出しては反論を考えた。

 ようやく形になったのは、最近だ。

 きっかけは、不幸の定義だった。

 

 幸せかどうかを判断する場合、無数の条件が必要なのは間違いはない。

 その無数の条件の一つでもNoならば不幸である、と言っていた。

 彼は、幸せの判断を、無数の条件の論理積で処理していた。

 私がひっかかっていたのはそこだった。

 

 彼にとって「不幸」とは本当に「幸せにあらず」の意味でしかなかったのだ。

 けれど、私にとって「不幸」は、決してただの「幸せにあらず」ではない。神様から見放されている、そんな気持ちになる状態を意味する言葉だ。

 そこに気づいてようやく私は考え始めた。ただし、もう反論ではない。考え始めたのは、私が思う「幸せ」の判断方法だ。

 

 私にとって、幸せの判断は論理積ではないし、不幸の判断は幸せの論理否定でもない。

 私はどちらも論理和で判断するのだと思う。

 

 幸せか?と問われたとき。

 人はまず基準を決める。幸せか、幸せでないか。そしてその答えが当てはまる条件を探す。確実に幸せである事柄、もしくは確実に不幸な事柄を。

 どちらを基準にするかは、その人の性格によるだろう。そしてどちらが基準でも、一つでも見つかればそこではじめて、「幸せだ」とも「違う」とも答えるのだろう。

 それは論理和だ。決して論理積でなく。

 

 そして付け加えるならば、私の判断方法では、「幸せでなく、かつ、不幸でもない」状態を許す。

 問われたときに、条件としてすら思い浮かぶこともないもの。問われてもいないときに、気にもしない、普通、と思っている事柄に対してだ。

 この場合、私は設定しておいたデフォルト値を与える。

 デフォルト値は「幸せ」だ。これは人の性格には関係がない。

 「幸せ」と「不幸」は対義語かもしれないけれど、善悪のように対比されているわけではないから。

 「不幸」という言葉があらわしている。まず幸せという概念がなければ、不幸も存在しない。

 

 ちなみに彼の場合にはその状態は存在しない。

 私が「普通」と判断する事柄は不幸に含まれる。

 不幸という言葉の意味が違うのだから、仕方ないと思う。

 私が思う「不幸」と同等の意味を持つ言葉は存在しない。仮にあったとしても、やはり論理積であるのはおかしいのだ。幸せが、奇跡と同等なほどの確率でしかないものならば、対比とは言いがたい。

 

 だから私にとって、「幸せだ」という答えはやっぱり存在する。

 それをようやく納得できてほっとする。今ならば、堂々と反論もできる。たとえまた切り返されても、もうちょっと立ち向かえる。

 けれど残念なことに、その同僚とはもう全く交流はない。もう、覚えてもいないだろう。

 

 自分なりに結論を出した後、中学生の時の保険体育の授業を思い出した。

 「心身ともに健やかな場合を、健康と言うんだ。だから悩みがあるなら、もう健康じゃない。だから俺は健康だった事はない。」

 そういえば、そのときもショックを受けた。

 それについての反論は未だみつからない。健康の判断は確かに論理積かもしれないな、とも思ってしまうので、あえて考えようともしていない。

 ただ、幸福よりも健康の方が条件が厳しいなんて、思ってもみなかったけど。

 

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今、幸せですか? -前編

 「例えば、ももんがさん、今、幸せですか?」

 場所は深夜のファミリーレストラン。残業後の遅い夕飯を食べながら、当時の同僚で、私が師匠と仰いでいたその人は問いかけてきた。

 幸せですよ、と答えた私に、彼は、そんなはずはないんです、と言い切った。

 

 ロボット制御のプログラミングはどこまで可能か?という話が最初だったと思う。

人間の脳には勝てないでしょう、という私に、彼は顔をちょっとしかめ、それはハードの問題で、今はロジックとして可能かどうかを言っているんです、と言った。

 「僕はですね、感情だって切り分けていけば必ず最後は無数のYes/Noで判断できるものだと思っています。」

 「だって、どちらでもない、って場合もあるじゃないですか。」

 「それはまだ切り分けが足りないんです。」

 自信持って言う彼と、もう少し議論を続けたくて、私は必死に反論を考えた。黙りこくった私にむかって、彼はさきほどの質問を言ったのだ。

 

 「ひとつでも嫌な事があったら不幸なんですよ。幸せにあらず、なんですから。だから、幸せな人というのは、いるわけがないんです。」

彼はそう断言した。

 認めたくなかった。

 自分が不幸である、と考えるのも嫌だが、彼自身が自分を不幸であると思っていることが、なきたくなるほど嫌だった。だから一生懸命、反論した。食後のコーヒーを追加してまで。

 

 少し考えて、仕掛けることにした。

 「じゃあ、幸せだな、と実感しているときは?そのときは幸せでしょう。」

 「それもおかしいですよ。だって嫌な事があるはずなんだから。」

 「その瞬間は嫌な事は忘れてるんですよ。無数の条件は全て消えて、幸せだな、と実感した理由しかないんです。」

 彼は一瞬黙り、しばらく考えた後にしぶしぶ認めた。

 「確かに、その場合は幸せかもしれませんね。」

 それを聞いてほっとしたのもつかの間、彼は続けて断言した。

 「でも、それ以外にはありえないんですよ。例えば今みたいに質問れた時に、幸せだ、という答えはあるはずがないんです。大抵の人は何かしら悩みを持っているんですから。」

 ああ、駄目だ。私はため息をついた。

 違う。絶対違う。でも何が違ってるかがわからない。得意げにコーヒーを飲む彼を目の前で、ただあせって、あせりながら、悲しくなった。

 「その答えは、間違ってないけど、あってないですよ。」

 弱々しく言った私に、

 「それもおかしいです。間違っていなければあってるんですよ。」

 と、満足げに彼はコーヒーを飲み干した。

 

 そのときは結局、その議論には勝てなかった。認めざるをえなかった。でも心の中では認めてなんていなかった。

 脳の機能の影響をあたえている無数のシナプス、接着か非接着で二進数の動きをするこの神経細胞の先にあるものの事など、一般的には知られていなかった頃のお話。

 もう、7年か8年以上前のこと。

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2006年9月22日 (金)

きかんしゃやえもん -阿川 弘之,岡部 冬彦

きかんしゃやえもん Book きかんしゃやえもん

著者:阿川 弘之,岡部 冬彦
販売元:岩波書店
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やえもんは、今、交通博物館にいます 

 ここのところ残業が多くて、というのはただの言い訳です。夜更かしがすぎて寝坊したので、本日は午後出社でした。

 こんな時間の電車はすいているだろう、と思ったら、幼稚園児の集団と同じ車両になりました。

 私の隣に座ったのは、妙になつこい男の子。一番に席についたのに、席はあいているのに私の隣になんのためらいもなく座ってきました。

 いまどきのナップザックに水筒。遠足かな、なんだかいいなあ、と思い、行き先はどこなのか尋ねようとして、はた、と気づきました。

 この子達、これから帰るところだ。

 午後1時。2時から午後の仕事がはじまる私にとっては、これから一日がはじまるというのに、この子達は楽しい時間は終わった帰り道なのね。

 ちょっと自分が恥ずかしくなりました。

 

 一番後ろの車両だから、車掌さんの姿がみえます。

 隣に座った男の子は、車掌さんがアナウンスをしている事を皆に教え、路線図が何かを教え、漢字がもう読めるんだ!と、おおいばりで路線図の駅名を読み上げてました。

 でもやっぱり読めない漢字もあるようで、端から読み上げているようで、実はさりげなくとばしていました。千歳烏山や蘆花公園はさすがに読めなかったみたい。かわいいなあ。

 この男の子はきっとトーマスが好きだろうな。

 トーマスが日本で有名になる前、私が大好きだった日本版トーマス、「きかんしゃやえもん」をみせても、にせもんだ!って、きっと言うんだろうな。

 素敵な話なのにね。 

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2006年9月21日 (木)

陋巷に在り -酒見 賢一

陋巷に在り〈1〉儒の巻 Book 陋巷に在り〈1〉儒の巻

著者:酒見 賢一
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

サイキックって書かれると眉唾ものにみえる...

 中国は混沌が似合う。

 なんて、実際には行ったことがありません。小説の、しかも昔の中国が舞台の小説からうける貧困なイメージです。

 実際、職場で一緒に働く中国人の話を聞く限り、そして仕事でかかわってた中国の会社の資料、その写真を見る限り、現在では近代都市のひとつだとは思いますが。

 

 昔、孔子なんて、漢文の授業か世界史でその名前をみるだけ。そもそも中国に興味など全くなく、よもや、異色とはいえ孔子伝を延々と買い続け、他の作家さんの本も読みふけるようになるとは思いませんでした。

 なんて、深い国なのだろう、とため息がでます。広いだけある。

 文化も歴史も人物も、あさりはじめると泥沼にはまってしまいそうになります。

 だから、史実を上手に料理してくれ、なおかつエンターテイメントにしたてあげてくれる酒見賢一さんは、本当にすごい。ありがたい。

 

 「陋巷に在り」は孔子の弟子、顔子淵と、彼が属する顔儒の人々、そして孔子の弟子たちの話です。

 実在だったといわれる人々だけど、もちろん話そのものが全て本当とは思いません。けれど、本当にこういう世界だったかもと、楽しんでしまうのは、小説の力量だけでなく、舞台が中国だからかもしれません。

 平安時代の日本のように、古代中国には何が住んでいてもおかしくない。

 どちらも闇を含んでる。

 

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2006年9月20日 (水)

夢回帰線 -さだまさし

夢回帰線 プライス・ダウン・リイシュー盤 Music 夢回帰線 プライス・ダウン・リイシュー盤

アーティスト:さだまさし
販売元:フォア・レコード
発売日:2004/06/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する

隠れファンは多いと思います

 小学生か中学生の頃。まだ、さだまさしさんが、本格的な作家活動に入る前です。文庫で歌詞とエッセイが一緒になった本を買いました。

 何故、買ったのか覚えてません。多分、いつもどおり、散々立ち読みしたあげくに気に入ったからだと思います。

 歌詞を「物語」として読み、それにまつわるエッセイを楽しむ。さださんの歌詞はそういう楽しみ方のできる歌詞が多かったと思います。

 実際の曲を聴いたときも、その、語り口調的な歌声は決して物語を裏切るものではなく、むしろ、物語であると同時にその物語のテーマソングである、という不思議な位置づけとなりました。

  

 「夢回帰線」は、曲ごとに舞台となっている国が違います。けれど、物語は決して大げさなものではなく、どこの国でもおこりえる、ささやかな場面。

 「Pineapple Hill」と、「風に立つライオン」が私はお気に入り、...と書こうとしましたが、やっぱりどの曲も好きです。だって、どれもそらで歌えちゃうくらい聴きました。

 強いていうのなら、上記二曲は「物語」としても大好きなのだと思います。 

  

 後々働いていた職場の近所に、さださんの家があると知りびっくりしました。

 耳に入る噂は、さりげなくいい話ばかり。あの温和な笑顔は、厳しい、そして優しい性格がにじみでたものなんだろうな、と本当に思います。

 そうでなければ「風に立つライオン」の歌詞、赤道直下で働く主人公が出す手紙に

「こんなところにもサンタクロースはやってきます。去年は僕でした」、なんて、さりげなく書かせられないと思うもの。

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2006年9月19日 (火)

妻を帽子とまちがえた男 -オリバー・サックス(BlogPet)

ほんとうは、ももんがは
少なくとも、世界が一度大きく変わって、古文書としてこの春が掘り出されたりなんてしたら、間違いなく信じられちゃうでしょう。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年9月18日 (月)

秘密の動物誌 -ジョアン・フォンクベルタ

一瞬、信じてしまう

 自分が知らない動物なんて、この世にまだまだいると思います。

 イッカクやキーウイなんて中学生くらいの時に知ったくらいだし。

 野生の王国、「わくわく動物ランド」、最近ではディスカバリー・チャンネルでも、ありとあらゆる、みたことのない動物をみました。

 

 その全てが、本当に本物かなんて、私にはわからないんだ、と、思ってぎょっとしたのはこの「秘密の動物誌」を読んでからです。

 

 この本は、足の生えた蛇、火を吹くトカゲ、足と手が一本づつ生えている貝、羽の生えたゾウなど、何種類かの「新発見」の動物の、生態記録、もしくは標本写真、等の学術記録書です。

 ちなみにウソです。

 ただし、どこにもウソとは書いてません。かろうじて解説にそれらしきものが書いてあるためわかる程度。

 発表した研究者の経歴や、採取場所の地図、解剖結果のノートの写真、骨格標本までできちゃっているので、解説がなかったら、監修が荒俣宏氏でなかったら、信じちゃっているところです。

 少なくとも、世界が一度大きく変わって、古文書としてこの本が掘り出されたりなんてしたら、間違いなく信じられちゃうでしょう。

 実際にみた人がいない限り、その存在を証明する事は本当には不可能だ、と、どこかで読んだことがありますが、 この本を読んで実感しました。

 それにしても、芸が細かい。

 ここに載っている「手足が一本づつ生えている貝」はその手に棒を持ち、えさである魚を殴り倒して捕まえます。

 その「魚を殴り倒す直前」の写真が、笑えるほどうそ臭い。けれど学術書仕立てなため、そのうそ臭さゆえに、信じたくなります。

 こういう本を、真面目につくっちゃう人達。私は大好きです。

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連絡事項

 今のいままで、ブログペットのメールはブログペットに入っていないと送れないものだとはしりませんでした...。

 プロフィール欄に、暫定メールアドレスを公開してみます。

 だからなんだというわけではありませんが。反論、感想等あるけどコメントにはなあ、という方いらっしゃましたらこちらまでどうぞ。真摯にうけとめます。

 でも苦情、文句だけなら、できればお控えください。へこみますので。

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妻を帽子とまちがえた男 -オリバー・サックス

妻を帽子とまちがえた男 Book 妻を帽子とまちがえた男

著者:オリバー サックス
販売元:晶文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本人でないとわからない

 眼がすごく悪いので、コンタクトか眼鏡をしていないと、買い物一つできません。

 私の見る世界は、必ずガラス一枚向こうにあると思うとちょっと悲しくなります。

 裸眼で見る世界は、すりガラスのむこうのようにぼんやりとしています。私にはみえないものも、他の人にはみえる。

 私がみる世界と他の人の世界は全然違うのだな、と思ったりもします。

  

 「妻を帽子とまちがえた男」は脳神経に傷害をもつ人達のそれぞれの症状とその生活を書いたものです。

 表題とおり妻と帽子を間違える人だけでなく、左という概念がなくなった人、短期間しか記憶をたもてない人、インドの幻影をみる人、その症状はさまざまで、その対応もさまざまです。

 この人たちの世界も私とは、全く違う。

 けれど、違う、という点で、私となんら変わりはない。

 もしかしたら、青い色だって、私がみている青と本当の青とは違うのかもしれない。絶対同じとは言い切れないのだから。

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2006年9月17日 (日)

三つ子の魂

  実家にいたころ、私の休日は主婦のようでした。

 休日は洗濯をして、畑仕事をたまに手伝う。踊りながら洗濯物を干そうが、歌いながら畑仕事をやろうが平気です。田舎の農家の利点は、人の眼を気にしなくてもいい程度の敷地があるというところ。

 洗濯物を干してから仰ぎ見る空は本当に青い。湿気で湯気がたつ土から顔をあげるとみえる山は本当に美しい。

 私は、俗に言う「定年後に夢見る生活」を、先にしてしまっていたようです。

 

 今年になってから転職をしたので、残業が多いといえども、前よりは人間的な生活がおくれます。休日に起きたらもう夕方、なんてことはなくなりました。

 だから休日は、とりあえず洗濯をする。小声で歌いながら。

 収入が減ったのでお弁当を作っていますが、シソだのバジルだのを毎回買うのがどうしても許せなくて、苗を買いました。

 植え替えのために、アパートの庭の土を少し掘り返しました。

 黒い、割と出来のよい土で懐かしい匂いがして、うれしくなりました。

 

 ああ、私はこれで元気になる。

 あこがれている海をみても、映画をみても、友達と話しても、気が晴れないときははれないというのに。 

 悔しいけれど、三つ子の魂はやっぱり百まで。

 

 苦笑しながら、植え替えた苗たちは一年草。

 種がこぼれて、来年からは自然に生え、私が引っ越したとしても、毎年、芽がでるようになるだろう。

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2006年9月16日 (土)

萬斎でござる -野村萬斎

萬斎でござる Book 萬斎でござる

著者:野村 萬斎
販売元:朝日新聞社
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ギター持ってかっこつけてる若き日の萬斎さんがw。

 最近のNHK、特にNHK教育は、民法においつけ追い越せとばかりにがんばった結果、若干マニアな番組になっている気がしますが、結構好きです。

 何年か前、NHK教育をみていたら萬斎さんがかたつむりの殻を背負って踊っていました。ひゃー、と、思ったけど、なかなか面白かった。

 彼が「ハムレット」役をやると知り、その写真をみたときも驚きました。40歳近いのに、写真なのに、確かにこれは19歳のハムレット。

 芝居そのものは観れなかったけど、やるなあ、なんて思いました。

  

 で、なんとなく気になってこの本を買いました。

 梨園とも違う狂言の世界。けれども直系?ではなかったせいか、比較的自由に育てられていたらしいと知り、びっくり。

 けれど、あくまで「比較的」。私なんかが思いもよらないほどの生活なのだろうとは思います。

 そういう世界の家に生まれてみたかったと思う時もあったけど、やっぱり私はこういう本でその世界をちょっとだけ垣間見るだけでじゅうぶん満足。

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2006年9月15日 (金)

春と修羅 -宮沢 賢治

春と修羅 Book 春と修羅

著者:宮沢 賢治
販売元:日本図書センター
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不思議なものだ

 

 詩を楽しめるようになったのはいつからなのか。

 特に、この、春と修羅を。

 詩には、気合を入れて読まないとわかりにくいものと、誰にでもわかる、シンプルな言葉のものがある。

 宮沢賢治の詩は前者が多い。

 なのに、いつからか心にしみるようになった。

 何故だろう。

 賢治の、春への憧れを思うとつらくなる。

 賢治の、修羅を感じてせつなくなる。

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2006年9月14日 (木)

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で Book ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で

著者:ジョン・M. マグレガー
販売元:作品社
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 運良く、ヘンリー・ダーガーの原画展を渋谷でみたことがあります。

 あちこちの雑誌からきりはりしただろう、女の子のコラージュ。

 下書きの線がわかるそのままで彩色された絵。

 女の子なのに「ついている」絵なのは、女の子の裸をみたことがなかったからだろう、と言われています。

 

 ヘンリー・ダーガーはアメリカの、身寄りのない老人。掃除夫をしていたそうです。

 彼がアパートでなくなった後、みつかったのはヴィヴィアンガールズ、と名づけられた女の子達の一大叙事詩「非現実の王国で」とその挿絵。

 誰にもみせることなく、こつこつと81歳の生涯を閉じるまで書いていたらしいです。

 その膨大な量が全て展示できるはずもなく、その一部だけの展示でしたが、すごかった。

 上手か、といわれると微妙。

 あちこちの雑誌から切り抜きし彩色し、グロテスクな描写もたくさんあるけれど。

 大判のその原画は、彼の人生と同様、奇妙にひきつけられました。

 ドキュメンタリー映画にもなったらしいですが、今年日本公開予定だったらしいけれど、見逃したのかやらなかったのか、残念ながらみていないです。

 

 世の中にはすごい人がたくさんいる。知られようが知られまいが全く変わりはないのだ。

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2006年9月13日 (水)

ベル・エポック -逢坂 みえこ

ベル・エポック (1) Book ベル・エポック (1)

著者:逢坂 みえこ
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

働く女の人ならきっと好き

 しらないうちに、ワーカホリックになっていました。

 残業は当たり前。残業がない日に、他の人が残業しているのをみると、なんとなくとりのこされた気分になっちゃうのは、我ながら間違っていると思いつつ。

 仕事に関わる勉強と称して、いろいろ調べたり試したりする事が楽しくて仕方がない、と思うとき、昔のケンブリッジ、オックスフォードの研究者たちが独身が多かった理由がよくわかります。

 研究、といっても決して嫌々であるわけでなく、自分の楽しみを追求するものなのだろうと。それに本気ではまる時、自分の時間を誰かに邪魔されたくはないだろう。そんな自分勝手な気持ちに共感してしまう自分がいます。

 「団塊世代のお父さん」を決して笑えません。

 

 それでも欲張りな事に、一日の終わりは誰かと話したい。休日は誰かとすごしたい。 
 大変自分勝手だけど、奥さんが欲しい、としみじみ思うときはそんなとき。

 

 「ベル・エポック」は、あらゆるジャンルの仕事につく、30代の独身女性達が主人公です。

 バリバリに働きながらもプライベートも大事。友人も大事。恋人がいる人もいない人も、最後は元気に、また明日をみつめます。

 一話完結ですが、キーとなる登場人物、「綺麗ちゃん」が私は好きです。以前、友達に、「綺麗ちゃん」のイメージがある、と言われてとてもうれしかった。 
 実際、私はこんなに有能でも、かっこよくもないけれどね。

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2006年9月12日 (火)

時雨の記 -中里 恒子(BlogPet)

ももんがが
子供の頃、お父さん、メキメキは、「お父さん」「メキメキ」で、男でも女でもなかった。
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年9月11日 (月)

メキメキえんぴつ 大海赫

メキメキえんぴつ Book メキメキえんぴつ

著者:大海 赫
販売元:ブッキング
Amazon.co.jpで詳細を確認する

強烈...

 子供の頃の思い出で、量的には、楽しかった記憶の方が多いかもしれませんが、あざやかなものは、楽しかった事より、悲しかった事、恥ずかしかった事の方がおおいです。

 強烈であればあるほど、覚えているからかもしれません。

 繰り返し繰り返し思い出しちゃうからかもしれません。

 

 子供の頃、たくさん絵本も童話も読みました。

 たくさんたくさん読んだので、忘れちゃったものも多いです。

 楽しい絵本やほのぼのした本も沢山あったろうに、題名を忘れてしまったものがほとんど。

 でも、この本のタイトルはずっと覚えていました。

 強烈すぎて、怖くて、救いのない話。

 子供心に、「なんという童話だ!」と驚愕したのを覚えています。

  

 後年、大海赫(おおうみあかし)さんの本のシリーズがいくつか復刊されているのをみつけて、この「メキメキえんぴつ」を含め、3冊ほど思わず買ってしまいました。

 「メキメキえんぴつ」を売るおじさんの挿絵が怖い。

 主人公に折られたえんぴつが、夜中、鉛筆削り器で自分を尖らせているシーンが怖い。

 「カンナさん」では、大人になった主人公が格好よくも賢くもないのが嫌だ。

 カンナさんが最後に主人公にののしる場面。 最後の主人公も救いようがなくて。

  

 この本がトラウマになっちゃった人も多いらしいです。

 強烈で、個性的で、手に取らずにはいられない。

 でも、もし、自分に子供がいたら、ある程度の年になるまで読ませられないだろうなあ。

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向田邦子×久世光彦スペシャルドラマ傑作選

向田邦子X久世光彦スペシャルドラマ傑作選(昭和57年~昭和62年)BOX DVD 向田邦子X久世光彦スペシャルドラマ傑作選(昭和57年~昭和62年)BOX

販売元:レントラックジャパン
発売日:2005/09/22
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本当はすごく買ってしまいたい

 

 本日、TSUTAYAにいって、このDVDの存在を知りました。

 大好きな、向田邦子さんのドラマをまとめたものです。

 レンタルもあったので、とりあえず2本借りてきました。

 「眠る盃」と「夜中の薔薇」。

 

 「眠る盃」は、TVで放映された時にみました。

 当時は、「向田邦子」という存在を知らず、その上質なエッセイ「眠る盃」も知りません。

 工藤夕貴が演ずる主人公が「荒城の月」の歌詞を「眠る盃」と間違えて覚えていた、というエピソード、

 そして当時の私からみたらおじいさんにしか見えない男の人が、おじいさんではなく男として、女の人を守るシーンが妙に印象的でした。

 

 後年、「眠る盃」というタイトルであれ?と思い、エッセイを手に取った。

それが向田邦子さんとの出会いです。

 このドラマが放映された時にはすでに向田さんは他界されていたけれど、そのずっと前にやっていた、「寺内勘太郎一家」は観ていました。

 かろうじてリアルタイムに、向田さんの良質なドラマに触れていたことをとてもうれしく思います。

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2006年9月10日 (日)

愛についてのキンゼイレポート

愛についてのキンゼイ・レポート DVD 愛についてのキンゼイ・レポート

販売元:松竹
発売日:2006/03/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する

キンゼイ教授の奥様がキュート

 

 友達が遊びにきていたので、一緒にみました。彼女と私はもともとオープンな会話をする仲なので二人の間に、あまり禁忌はありません。

 二人ともに、奥ゆかしい、という言葉とは無縁です。
 奥ゆかしくみせて楽しめないくらいなら、品がなくとも積極的に楽しい方がいいじゃん、という主義なので、 性に対する話も、かなりあけすけにするほうです。 

 だからこの映画の、キンゼイ夫婦の関係をとても好ましく感じました。

 

 キンゼイ博士は、1920年代に性に関して積極的に調査をし、統計をとった方です。そのレポートはアメリカ中に波乱をまきおこしました。
 アメリカはそういう事にはオープンだと思っていたけど、やっぱり最初からそうだったわけではなかったのですね。

 
 「自分だけがおかしいのではないか」と疑問を持ちながらも誰にも言えずにいる。
 きっと今だってそう。特に女の人は。
 「多様性を求めることがありとあらゆる生物の基本なのだから、どれもおかしいことではない」と、キンゼイ博士はいいます。
 そう、おかしいなんて事はない。性格と同じでみな違ってあたりまえ。誰かを傷つけるのではないのならば、別に恥じることでもなんでもない。
   

 この映画とは無関係ですが、以前、ネットのコラムで江戸時代の性生活の話を読んだことがあります。
 それは明るくオープンで、子供の目の前でもあっけらかんとおこなわれる。そして男色だって、粋な趣味の一つであって、偏見も全くない。
 だからといって、宣教師の人達が「野蛮で性に乱れた国」と評したように思っているのは間違っている。きちんと道徳は存在する。ただ、性は愛情表現の一つではあるけれど、決してイコールではないだけだ。

 それさえ履き違えなければ、もっと楽しめるだろうに。

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2006年9月 9日 (土)

悪者と卑怯者の定義

 悪者と卑怯者では卑怯者の方がイメージが悪い、と、感じるのは私だけではないはず。
なのに皆、いとも簡単に卑怯者のほうになる。私も含めて。

 卑怯者は、悪者の種類の一つだろうか。
そもそも定義ってなんだろう、と、辞書をひいてみたら、別物だった。

 悪者   - 悪いことをする者。他人に害を与える者。

 卑怯者 - 勇気のない者。また、ずるがしこい者。   

悪者の定義は行動に左右され、卑怯者の定義は思想に左右されるらしい。

 そっか。では卑怯者が多いのも無理はない。
悪者にならない方法はたやすい。自分で認めなければいいんだもの。
それに比べて卑怯者にならない方法は難しい。自分で認めないといけないのだから。

  
 なんて風に、辞書で調べて納得して、そして、私の頭はまた私をだましはじめる。
悪者になりたくないという人は、どうぞ卑怯な善人でいてください。
卑怯者になりたくない私は、勇気をもって悪人になりましょう。
そんな事を、つらつらと考えている。

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鏡の中の少女 -レベンクロン

鏡の中の少女 Book 鏡の中の少女

著者:森川 那智子
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

続編「鏡の中の孤独」で彼女はたちなおる

 

 今、思うと、拒食症になりかかっていたのかもしれない。

  

 高校生の頃、吐き癖がついてたことがありました。痩せたいと、思っていた頃です。

 無理に吐こうとしたことはなかったのだけど、かなり頻繁に戻してしまう。それもほんの一口分くらいだけ。

 日常になってしまっていたので自分では何も思わなかったのだけど、母は不思議に思っていたらしい。もしかして、つわりでもどしているのじゃないか?と誤解していたのかもしれないと、最近気づいて苦笑してしまうけど。

 

 何がトリガーになっていたのか、今もってわからない。

 確かに、ありとあらゆることにコンプレックスを感じていた。

 誰もせめたりしない。誰も何も言わないのに、自分自身が自分をせめて苦しい。

 そんな気持ちはあったけれど、それが吐き癖という形につながっていたのか知らない。

そこまで自分が追い詰められている自覚も全くなかった。

 

 「鏡の中の少女」の主人公は、いい子に育った末っ子。 あんまりいい子で手がかからなくて注目されないほどに。

 だから、注目されるために病んでしまう。本人も知らないうちに。

 そんな、本人もわからない理由を病気を、治そうとしてくれる人達がいる。

 治療方法はただ一つ。愛してやること。

 認めてあげる、受け入れてあげる。それが主人公を強くさせる。

  

 私のはきぐせがいつ治ったかは覚えていない。

 ただその頃から、自分を嫌いになることをやめた事は確かだ。それが理由かはわからないけど。

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2006年9月 8日 (金)

時雨の記 -中里 恒子

時雨の記 DVD 時雨の記

販売元:東映
発売日:2005/01/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

映画化されてたんですね..

 子供の頃、お父さん、お母さんは、「お父さん」「お母さん」で、男でも女でもなかった。

 おじいちゃん、おばあちゃんにいたっては、論外。世界のできた時からおじいちゃん、おばあちゃんだったのだろう、ぐらいに思ってた。

 そんなはずはないのにね、と、しみじみ思う。

 自分自身だって、こんな年になっても子供の頃と本質的にはなーんにも変わっていないから。

 もちろん、社会にでて色んな経験をつんで、結婚して子供を産んで、なんて事をしているうちに、変わるものもあるだろうけど。

 とりあえず、社会にでて10年以上。それでもやっぱり変わらないものはあるもの。

 このままいくのならきっと、おばあちゃんの年になったって、中身はあんまり変わらないのだろう、と思う。

 

 そんなことを、ぼんやりでも実感しはじめた頃に、この本にあえてよかったと思う。

 も少し早く読んでいたら、きっとこんなには主人公たちの気持ちをしみじみ感じられなかった。

 「時雨の記」にでてくる二人は、奥ゆかしい。その上、恋愛が、決して先へ急げばいいという訳ではないことを知っている。

 この二人の関係をなんといったらいいのだろう。

 「マディソン郡の橋」も、「失楽園」も、「情事」も、かなわない。これこそ、大人の恋愛だ、と思ってしまう。恋愛、という言葉すらも生々しすぎるほどだけど。

 こういう大人になって、こういう関係があるのなら、まだまだ先は楽しみだ。

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2006年9月 7日 (木)

ザンサイアン - Cocco

ザンサイアン(初回限定盤)(DVD付) Music ザンサイアン(初回限定盤)(DVD付)

アーティスト:Cocco
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2006/06/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ジャケットきれいです

 特急電車がとまる駅は最寄り駅を一つ越した駅なので、特急がある時間帯に帰る日は、駅一つ分、散歩しながら帰る。 

 夏のはじめには、「これぞ夏の醍醐味!」なんて思いながら帰ったくせに、今日、雨上がりの涼しい風に吹かれながら歩くと、秋の夜長気分でうかれてしまう。

 結局、夜の散歩が好きなんだな、と思う。

 余計な事を考えないようにウォークマンの音を大きくして歌詞をしみじみ聞きながら、ときには口ずさみながら、ふらふら歩く。

 思えば、いつもそうだ。10代の頃も20代の頃も、私は一人でふらふら歩いていた。

 音楽を聴きながら、口ずさみながら、人の家の草木を楽しみ知らない道に入り込み、わざわざ大回りしながら家に帰る。

 さみしいのとすがすがしいのと。一人でいる事の劣等感と、一人でも楽しめるという事の優越感と。

 その気持ちは、その時流れている音楽でころころ入れ替わる。

 

 夜だけれど、おもいっきり曇りだったけれど、今夜はこのアルバムにある「陽の照りながら雨の降る」という曲が似合ってた。これは沖縄民謡をアレンジしたもの。

 雨上がりの涼しい風とおなじくらいにすがすがしい歌詞とすがすがしいメロディ。

 この曲はフェードアウトせずに、ぱきっと音楽が終わる。

 その瞬間に、虫の声が聞こえた。余韻までが、すがすがしかった。

陽の照りながら雨の降る     作詞:Cocco

 
あなたを見た この影
帯びるような ひだまり
鍵を掛けたピアノも 歌うようなお天気

ハイヤイヨ 山動く日に
ハイヤイヨ 燦々と雨

忘れたのに 残った
生きるように 歩いた
許さないで私を
失くさないであなたを

ハイヤイヨ 山動く日に
ハイヤイヨ 燦々と雨

旅の者は見た
燃ゆるような赤
還る者は言う
恋しい 愛しい 会いたい

守りたい あなたを

ハイヤイヨ 山動く日に
ハイヤイヨ 燦々と雨

ハイヤイヨ 闇に落ちれど
ハイヤイヨ 上がれ群れ星よ

ハイヤイヨ 会いたい

ハイヤイヨ 闇に落ちれど
ハイヤイヨ 上がれ群れ星よ

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2006年9月 6日 (水)

ラビリンス 魔王の迷宮

ラビリンス 魔王の迷宮 コレクターズ・エディション DVD ラビリンス 魔王の迷宮 コレクターズ・エディション

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2005/08/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

デビッド・ボオイの腕役のジャグラーさんがすごいです

 本の虫だった私が、本格的に映画にもはまりだしたきっかけは、多分この映画になるのだと思います。

 この映画に、すごく感動したから、とか、そういうわけではないのですが。

 

 タイトルにひかれて、ノベライズ版の文庫を買ったのがきっかけです。

 ノベライズ版は面白くて、一緒についていた映画のワンシーンの写真もアリスっぽくて気に入って、何度も読みました。

 その後にたまたまTVで放映されたのを録画しました。

 本を最初に読んでいたおかげで、主人公が何故、最初にクライマックスのシーンを話しているか、何故、最後の方で写真を引き出しに入れているのかがわかりました。

映画の原作を読む楽しみを、この時知ったと思います。

 

 それと同じ頃、デビッド・ボオイのファンだった女の子がこの映画のサントラを借してくれました。

 サントラを聞きビデオをまた観て、をくりかえしたおかげで、今まで音楽が流れていた事にすら気づかなかったシーンにも、実はたくみにBGMが流れている事に気づきました。

 邪魔にならなく、かつ、シーンを盛り上げる、という音楽があることを、このとき知ったと思います。

 

 録画したTVの最初のナレーションで、この映画にはメイキング版のビデオがでていることを紹介していました。

 近所のレンタル屋さんに行ったら、在庫にあったので借りてみました。

 その時すでに、繰り返し繰り返し録画したビデオを観ていたので、メイキングを観ていても、どのシーンの事かすぐわかり、とても楽しめました。

 メイキングを観る楽しみもあるのだと、知りました。 

 

 デビッド・ボオイ出演のせいかミュージカル仕立ての映画なので、何度も観ているうちに、ミュージカルの楽しみまで知りました。

 二ヶ国語版で録画したので英語でも日本語でも楽しめます。同じ原文の英語でも、吹き替えとしてと、小説としてでは、同じ意味なのにいいまわしが全然違う事も知りました。

 

 一粒で、二度おいしいどころではありません。

 骨の髄までしゃぶりつくした映画は、後にも先にもこれだけです。

 はまったとしてももう二度と、こんなはまり方はできないだろうなあ、と思います。

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2006年9月 5日 (火)

自己満足なのもわかってるけど(BlogPet)

きょうはももんがはここへ質問したいなぁ。
そしてきょうは、予想すればよかった?
そしてももんがが予想しないです。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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だるまちゃんとかみなりちゃん -加古 里子

 

だるまちゃんとかみなりちゃん Book だるまちゃんとかみなりちゃん

著者:加古 里子
販売元:福音館書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

シリーズでいろいろあります

 母の実家には、昔から、大きな年代もののだるまが10個くらい飾ってありました。

 そのだるまのひげは、墨で書いたものではなく立体化されたものでした。綿か何かで作られていたようです。うすぐらい梁の下の神棚にずらりとならべてありました。

 そのひげのいかめしさと、そのうちのおじさんの顔のおっかなさ、結構古い実家よりも、なお古い、母の実家の薄暗さは、私の記憶の中でセットです。

 (...関係ありませんが、おっかないって、方言でしょうか? 「怖い」の意味なんですが。)

 顔がおっかない割りに陽気でとても優しかったおじさんと同様、いかめしいひげの割りにあのだるまが怖くなかったのは、多分、「だるまちゃん」シリーズを保育園で愛読していたからだと思います。

 

 からすのパンやさん、おたまじゃくしの101ちゃん、とこちゃんはどこ? 等、大好きだった加古 里子(かこさとし)さんの本の中で、だんとつにシュールな本かと思います。

 当時はなんとも思わなかったけど、だるまに手足!。しかも子供なのに普通に髭はえてるし。

 だるまちゃんには家族もいて、もちろん、皆、だるま。なのにお父さんやおじいちゃんの年の違い、お父さん、お母さんの性別もしっかり書き分け。すごいなあ。

 

 だるまちゃんがかみなりの国からおみやげにもらってくる、かみなりまんじゅうで、皆でお茶を飲んでいる最後を思い出すと、何故だかいつも、母の実家で、だるまに見下ろされながらお茶を飲んだ、あの居間を思い出します。

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2006年9月 4日 (月)

ダメージ

ダメージ DVD ダメージ

販売元:紀伊國屋書店
発売日:2006/08/26
Amazon.co.jpで詳細を確認する

クライマックスが悲しすぎてこわい

 

 恋に落ちるのは天災と同じだと思う。

 だから、恋に落ちてしまうのは仕方ない。

 けれど、それをどの程度の被害でくいとめるかは、本人次第だと思う。

 意思の力でくいとめられる段階のうちに、逃げ出さなかったこの主人公には、同情の余地はない。

 大事なものを失って、それでもなお悔いはない、と言い切るならば、兎も角。

 そのまま、恋に落ちっぱなしならば、兎も角。

 鏡にむかって言うように、主人公に対して、そう思う。

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2006年9月 3日 (日)

自己満足なのもわかってるけど

 ふと口に出した願いを、相手が覚えてて、そして叶えてくれたりしたら、すごくうれしい。

そのくせ、私は、私がしてあげたい事ばかりしていた、という事にいまさら気がついた。

  
 
 悪者になりたくない、と、言っていた。

 せめて、それだけはかなえようと決めた。

 
 
 皆の前でも、二人のときでも、いつもどおりに笑いいつもどおり普通に軽口をたたく。

 理由も聞かない。質問もしない。

 その理由が、願いを叶えるためにやっているなんて事を、気づいてもいないだろう。

 もう、平気なんだ、と思われるだけなのだろうと、わかってはいるけれど。

 予想以上に、しんどい事だったりするけれど。

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2006年9月 2日 (土)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+(プラス) Music 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+(プラス)

アーティスト:TVサントラ,HIDE,Gabriela Robin,Ilaria Graziano
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:2004/02/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

アニメのサントラでは、もはや、ない。

 どうしても、「攻殻機動隊」のオープニングの曲が耳について離れないので、サントラを借りてきました。

 プロデューサーの菅野よう子さんは、あまり名前は知られていませんが、経歴はものすごい方です。私も今回はじめて知りました。

 TV、映画、アニメ、ゲーム、ありとあらゆるメディアで、ちょっといいなと思っていたもののほとんどを、彼女が手がけていたものとしり、ほんとにびっくり。

 

 私の耳についてた曲は「inner univerce」。

 ロシア語と英語のミックスの歌詞で、曲調は、まるで賛美歌のよう。ゴスペルのよう。

 普遍的な「祈り」のイメージをそのまま音楽にしたようで、聞いててくらくらします。

 だからといって全部の曲が宗教色強いわけではなく、ロックどころかヘヴィメタルちっくなものもありますが、不思議なことに最初から最後まできちんと流れができている。

 

 このアルバムはどこで聞くのがふさわしいのだろう。

 どこの景色も似合わない。

 ヘッドホンをして、眼を閉じて、音楽だけに体を預けて聞くのが一番なのかも。

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2006年9月 1日 (金)

沙高樓綺譚 -浅田 次郎

沙高樓綺譚 Book 沙高樓綺譚

著者:浅田 次郎
販売元:徳間書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」、どの本もタイトルが上手いなあ

 不粋なほど豪華な場所での、豪華な人々が語る、極上の怪異譚。

 百物語ではないので、ろうそくを消すことはありません。

 不思議な話といっても、本当は不思議ではない話なのかもしれません。

 怖いといっても、お化けがでてくる話はありません。

 どこかで聞いたような、元ネタを知っているような、でも、やっぱりわからない。

 

 不思議な話は大好きなので、こういう本は大歓迎です。

 この中の、「百年の庭」が一番怖かった。

 読んだときには他の話の方が面白かったのに、何故か思い出すのはこの話ばかり。

 何故だろうと思ったら、この語り手だけが本当の当事者だからだ。

 やっぱり、世の中で一番こわいのは、人なんだな。

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