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2006年10月31日 (火)

A Day Without Rain -Enya

A Day Without Rain Music A Day Without Rain

アーティスト:Enya
販売元:WEA
発売日:2000/11/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

世界が、よく似合う

 音楽に、しみついているのは記憶だけとは限らない。

 それを聞いていたときの、自分の精神状態も一緒に保存されている。

 

 本を読んでいたら、突然、身体がざわざわっとした。

 何事かと思って我にかえったら、ウォークマンで流していた音楽がこの、エンヤのアルバムに切り替わっていた。

 集中していたから、音楽なんて耳に入っていなかったはずなのに。

 このアルバムにまとわりついている、たくさんの記憶のうちのどれがそうさせたのかももう自分では判断つかないというのに。

 身体は正直だ。

 頭の先からつまさきまで、左半身だけ見事に鳥肌がたっていた。

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がんももがポプラが秋が生活されたみたい…(BlogPet)

がんももがポプラが秋が生活されたみたい…


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年10月30日 (月)

オンリー・ミー -私だけを -三谷 幸喜

オンリー・ミー―私だけを Book オンリー・ミー―私だけを

著者:三谷 幸喜
販売元:幻冬舎
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かなり笑える...

 東京サンシャインボーイズ主宰というより「古畑任三郎」の脚本の方が有名な三谷さんはエッセイも面白い。

エッセイからみえる私生活ぶりは、三谷さんの性格のかなりの悪さを示しているのだけど、明るく笑えます。

 ただそれだけではありません。

 このエッセイ、連載として書かれていたのはもう何年も前。私は文庫本になってから買いました。

 このなかに政権の話がちょろっとあり、そこに「小泉元郵政大臣が首相になればいいのに。」というような一文が。

 しかも理由は、小泉さんの思想でもなんでもなく、「おひょいさんのようなルックスでぱっと見、えらそうでなくていい」から。

 私が買った時は、まさに小泉政権まっさかりのとき。すごい人は眼の付け所もすごい、としみじみ思いました。

 ただ、三谷さんの性格を考えるに、皆に自慢してまわらずにきっと誰かがそれを指摘しているのをわくわくして待ったんだろうなあ。

 だから遅ればせながら、ここで指摘してあげましょう。ささやかですが。

 三谷さん、すごいです。

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2006年10月29日 (日)

親密な空気

 自分の椅子を移動させて、相手の机の近くに座って仕事の話をしている。

 さりげなく、お昼休みに席をたってゆく。

 ただそれだけなのに、その二人の間に親密な空気がながれているのを感じる。

 隠しているものが流れてでているわけではない。

 お互いをとまどいながら探り合っているような、そしてそのことを回りにではなく、相手に気づかれないために必死になっているような、そんな空気。

 嫌ではない。むしろほほえましい。

 私もだしていたことがある、その雰囲気。違う場所で違う人と。

 悲しいとは違う。寂しいとも違う。懐かしいには似ているけれど、やはりそれとも少し違う気持ちになりながら、そっときづかぬ振りをして席をたつ。

 かつて自分も、知らずにそっと配慮されていただろう、という事をしみじみ感じながら。

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2006年10月28日 (土)

ポプラの秋 -湯本 香樹実

ポプラの秋 Book ポプラの秋

著者:湯本 香樹実
販売元:新潮社
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誰にでもできそうでできないこと

 誰もが死ぬ。

 そんな当たり前のことを忘れがちなのは何故だろう。

 誰だって、明日、いや、残り1時間しか残っていない今日のうちに、死なないとは限らない。

 でもそんなこと、思いもしない。

 「自分もいつか死ぬ」という恐怖におびえたのは子供の頃で、今は逆に「だからこそ悔いのないように」という前向きな気持ちになれるというのに。

 いつまでも、どんな友達にも、明日も会えるとあたりまえのように思っている。伝えられる事を伝えずに、言わなくてもいい事をいう。

 そして悔いがのこる。のこって、伝えたくて。

 

 「ポプラの秋」にでてくるおばあさんは、そんな、忘れっぽい人達のためにいる。すばらしく素敵な方法で、リベンジさせてくれる。

 それこそ、泣きたくなる方法で。

  

 これを読んで、私もその方法を試みたくなった。やろうとしてでもやめた。私はポプラ荘に住んではいないし、おばあさんももういない。

 だから時折、一人で墓前に座る。座って、もう、会えない母と話をする。

 少し泣いて、少し元気になって、そしてまた懲りずに、生きている人達と悔いの残るかもしれない生活を繰り返す。

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コックと泥棒、その妻と愛人

コックと泥棒、その妻と愛人 DVD コックと泥棒、その妻と愛人

販売元:ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
発売日:2006/11/30
Amazon.co.jpで詳細を確認する

芸術的なほどグロテスク

 ピーター・グリーナウェイの作品は何本かみているけれど、この人の作品は、集中力をそぐものは何もない映画館の、大きなスクリーン、できたらハイビジョン画面で観るのがふさわしい。

 グロテスクぎりぎりな色彩の鮮やかさと、もはや芸術的なほどのグロテスクな物語。

どちらも自宅の小さなTVで、明るい光のしたでみると、効果は半減。きっと退屈に感じるかと思われる。

 

 この「コックと泥棒、その妻と愛人」もそう。

 舞台になっているレストランは、部屋によって壁紙の色ががらりとかわる。主人公が部屋を移動しただけなのに、壁をとおしてみているこちらの視線では一瞬、何がおこったのかわからないほど。

 その、鮮やかな場所で提供される料理は、やはりつややかで、鮮やかすぎて、逆にまったく食欲がそそられない。そのくせラストにでてくる、おぞましいはずの料理がむしろ、香ばしい香りをたてているのが感じられて。

 それはそのまま、登場人物にもあてはまる。

 あきらかに被害者であるほうには感情移入ができず、むしろ加害者である暴君な泥棒に同情してしまう。

 したたかな弱者と、わかりやすい強者。ある意味いちばん罪な傍観者。

 

 熟成とみるか腐ったとみるか。その見極めぎりぎりの食材で作った料理のような味わいは、一度はまるとくせになる。

 なかでも、「ピーター・グリーナウェイの枕草子」が駄作といわれようともお気に入り。緒方拳さんがでているのを知らずにみて驚いたけど。

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2006年10月27日 (金)

ふたりはいつも -アーノルド・ローベル

ふたりはいつも Book ふたりはいつも

著者:アーノルド・ローベル,三木 卓
販売元:文化出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

タイトルは「みどりくんとちゃちゃくん ゆかいないちねん」

 私が入った短大には卒業論文はありませんでした。

 それでは思い出がないから、と、2年生でうける翻訳の講義では、毎年、童話を一冊翻訳する課題を与えられていました。

 私が選んだ童話は「Frog and Toad All Year」。邦題で「ふたりはいつも」として出版されているこの本です。

 2匹のカエルがコンビの、何冊かシリーズででているメジャーな童話です。翻訳本が出版されていないか、もしくはせめてもっとマイナーなものを選べばよかったものを、これを選んだのは、本の大きさと絵の量が好みだったから。

 前年度の作品を見る限り、翻訳はさておき、装丁に凝っているものが多く目をひきました。絵をコピーで貼り付けたり、原本とおりのサイズをあわせたりしていて、自分オリジナルの翻訳本が作られているところに興味がわいて。

 私もまた、翻訳そっちのけで、本の複製にこりました。

 絵を一枚一枚トレースして水彩色鉛筆で色付けし、ページは紐でとじてダンボールで正式に型をつくり、製本しました。裏表紙のバーコードまで真似したりして。

 そんなことに時間を山ほどかけたおかげで、翻訳の文章はあまり練る時間がない、という、本末転倒な状態。

 子供が読むということを想定、かつ、既に売られている翻訳本のまねにだけはならないようにだけを心がけて訳し、ほとんどみなおしなしでの訳でしたが、評価としては「こなれた訳だ」と誉められました。素直に嬉しかった。

 今でも手元に原本と作品はおいてあります。よくやったな、と思います。

 ただ、一点、残念なのは、当時はワープロもパソコンも持っていなかったこと。

 おまけに翻訳にすら時間がなかったのだから、手書きで書いた文字は笑っちゃうほどのなぐりがき。悪筆な字が、悪筆すぎて、小学生の子供よりひどい字です。

 装丁はわれながらほんと、すばらしい。

 でも人に自慢してみせるには、ちょっと中の字が汚すぎる。

 「翻訳」の課題ということを前提にしてもしなくても、自分の性格をつくづくあらわしている一冊となりました。 

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2006年10月26日 (木)

のだめカンタービレ -二ノ宮 知子

のだめカンタービレ(1) Book のだめカンタービレ(1)

著者:二ノ宮 知子
販売元:講談社
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はやってますね...

 「のだめカンタービレ」。面白いのだけど、去年、友人から借りたときにはよもや、こんなに人気がでるとは思わなかった。

 ドラマ版はラストの曲が「ラプソティ・イン・ブルー」なのがお気に入り。原作に忠実ならいいってわけじゃないけど、クラシックが楽しめるという点では、いい番組だと思う。

 

 この話のなかで、主人公のだめが持ち込んだコタツのおかげで、隣に住むイケメンな先輩の生活は見事に自堕落になっちゃうエピソードがある。

 イケメンな先輩は一流どころのおぼっちゃま。でもやっぱりコタツの魔力には勝てないらしい。

 結局、コタツを捨てちゃうのだけど、電気コタツだからできること。

 

 実家のコタツは堀ごたつ。だから各部屋のじゅうたんにはバッテンの切れ目がある。

 寒くなると切れ目をめくり、半畳の畳をあげる。畳をあげた下には囲炉裏によく似た炉が埋め込まれていて、そこにコタツやぐらを設置する。

 20cmほど低くなっているその炉の、火鉢(カメ?)部分の灰を取り替えたら、ガスコンロで熾した木の炭を入れて籾殻の炭で覆う。炭の上に網をかぶせたら準備完了。

 掘りごたつ、は、腰掛けるタイプとは限らない。あれは明治に外人さんが考案したらしく、多分、昔は実家にあるような、床と対して高さが変わらないものが多かったのだと思う。

 だから、電気コタツのようにもぐりこむこともできる。よくもぐって寝てしまった。ただし必ず夜中に眼が覚める。

 火種は上手な人だと次の日まで残るけど、下手だと次の日どころか炭が灰になる前に消える。私は下手だった。おかげで氷のように冷たくなったコタツの寒さで眼が覚めるのだ。

 

 この間、寒くなったので電気コタツを設置した。

 スイッチ一つですぐ温かくなるから、帰宅してとりあえず足を入れ、

 一酸化炭素中毒ややけどの心配もないから安心してもぐりこみ、

 火種が消えるなんてことなく温かいから、一晩中そのままぐっすり。

 

 よもや、こんな理由で昨日、ブログの更新をしなかったなんて誰も思うまい。

 自堕落な生活に陥りたくはないけど、いとしいコタツは捨てられないなあ。

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2006年10月24日 (火)

きょうがんももはいばらを依存したかもー(BlogPet)

きょうがんももはいばらを依存したかもー。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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大人がたのしむ塗り絵帖

大人がたのしむ塗り絵帖 [花のある風景16選] Book 大人がたのしむ塗り絵帖 [花のある風景16選]

著者:塗絵倶楽部
販売元:技術評論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

今頃...。

 大人用の塗り絵を最近、本屋でよくみかけます。

 図柄も、風景画、草花、有名絵画から、曼荼羅、キイチ、「ベルサイユのばら」なんてものまで。

 みるたびに、なんでさっさと出版してくれなかったのか、と思います。

 

 もう10年以上前のこと。

 ある日、職場でやっていた、とある通販のおまけで、模造紙大の塗り絵がついてきました。

 塗り絵は大好きだったので、誰ももらわないそれを、嬉々としてもらい、家に帰ってさっそく塗りはじめました。絵そのものは他愛もないメルヘンなイラストでしたが、その大きさと図柄の細かさに、完成までに1週間以上かかかったのを覚えています。

 ちょうどその頃帰省した姉は、そんな私をみてほとんど絶句していました。

 塗り絵、やりたくならない? と言ったら、いや別に、と呆れた声でかえされたのも思えば無理もありません。当時私は22,3歳です。

 私が楽しそうに塗っているのをみて、ちょっとだけ塗るのに参加してきたけれど、それでも、姉の理解を超えていたようで。

 その後何年かは姉には、「20歳すぎて塗り絵やってた女」と言われました。

 1ヵ月後くらいに職場の人に聞かれ、あの塗り絵?終わったよ、と答えたら、彼女たちにも変わり者扱いされました。

 

 あの頃。

 私はできるだけ家にいること。家にいて、おばあちゃんとお茶を飲みご飯を食べ、会話の相手をし、家事をやること。

 誰からも強制こそされませんでしたが、それは暗黙の了解のうちに家族や親戚一同が望んでいることでした。

 だから友達と遊びに行くのも、夕飯すぎ。休みの日にも、なんでもないけど出かけてくる、という事はありませんでした。

 今思えば、しらずしらずにストレスともいえない、何かが溜まっていたのだと思います。

 塗り絵は、多分、それを発散するための一つにすぎなかったのに。

 おかげで変わり者扱い。

 自分が少々変わっているのはみとめますが、今、こうしてこんなにブームになっているのをみると、なんか釈然としません。

 きっと今、あの本を買ってやっている人は、変人扱いはされていないと思うもの。

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2006年10月22日 (日)

イティハーサ -水樹 和佳子

イティハーサ (1) Book イティハーサ (1)

著者:水樹 和佳子
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

中途半端なファンタジーなんて目じゃない

 ゲーム、特にRPG系をやっていたり、アニメをみたりしていると、技や魔術、名称の元ネタがかいまみえる事があります。

 元ネタを知っていると、余計に楽しみがふえる気分は私だけかなあ、と思いつつ。元ネタをあるとも知らない人には、元ネタを知る楽しみも知ってほしいなあとも思います。

 だってごくたまに、元ネタを知らずに楽しんで、その元ネタにあたったりすると、あっ、と思うもの。

 今まで多いのは、やはりヨーロッパの神話や古典ファンタジー。アーサー王やギリシア神話、指輪物語なんかがほとんどでしたが、最近は、和物の話も増えてきて、やっぱり元ネタの伝説、古典を知っていると、ちょっと楽しいです。

  

 元ネタになる話はあたりまえだけど元ネタがない。あっても土着の民話だったりしてほとんど作者オリジナル。

 そういう話には、やっぱり感嘆のため息をつくことが多いです。

 その世界観、そのイメージの大きさに、圧倒される。それを作れる人を、心の底から尊敬する。

  

 「イティ・ハーサ」は、一応、古代の日本らしい場所が舞台です。けれど、浅学な私には元ネタは見つけられませんでした。

 神だけが持つ名前、「神名」を持つ国での伝説。

 目にみえぬ神々と、善悪で対立するみえる神々。それぞれを信じる、戦う人々と、戦わぬ人々。

 その独特の世界観、そしてたどり着く思想は、今までみたこともないものでした。

 一神教でもなく、善悪二元論でもなく、混沌でもない結末。

 少し、萩原規子さんの「空色勾玉」を思わせました。

 どちらももはや、SF、子供向け小説のジャンルではせますぎるように感じるからでしょう。

 伝説に等しい物語だと思います。

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卑屈ないばら姫

 いばら姫は、百年の眠りの後、幸せだっただろうか。眠っている間の夢は甘美ではなかっただろうか。起こしてくれる人を待つというニュートラルな状態が、本当は彼女の望みだったのじゃないだろうか。

 そんな疑問がうかぶほどに、うかつな約束は、私にとっては麻薬と同じだ。

 

 特に、期限のない約束、相手からの返事をただ待つしかない約束。 

 待つしかないという事を言い訳にして、その約束がある事に安心して、私は次に進まなくなる。 

 返事をしてこない相手に催促もしない。

 強制したくないから、相手の自由にしたいからという理由は、本当ではない。

 分岐点の一歩手前のその場所で、甘い夢と苦い夢を交互にみつつ、私が眠り続けたいだけだ。決定する事を、先送りにしたいだけだ。 

 普段の自分とはうってかわって、肝心なところでこんなにも相手に依存してしまう自分に、いい加減うんざりする。

 

 うんざりし、あきれてしまうが、なおせない事ももうわかっているので。

 待っているのは待ちたいからだ、という、うんざりする素直さが、本当は少しいとしくもあるので。 

 待っていたいという素直ないばら姫に、待っているからしょうがないという卑屈な言い訳をさせたくないので。

 

 だから、約束をした後ではなく約束をする時、その時点で素直ないばら姫でいるようにする。

 もしくはラプンツェルでいるように、がんばってみる。

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2006年10月21日 (土)

昼の蜘蛛

朝の蜘蛛は、親の敵でも殺すな

夜の蜘蛛は、親でも殺せ

では、昼間の蜘蛛はどうしましょう、と、カーテンに張り付いた蜘蛛をみながら考える。

 吉本ばななさんの小説で、「私と台所だけがのこる。自分しかいないと思うよりはもうすこしましな思想だと思う」という一説がある。

今、この部屋で、動くものは自分と蜘蛛しかいないと思うのも、自分しかいない、と思うよりはちょっとコミカルですこし前向きな気がする。

だから、そっとしておいてあげよう。そう思ったとき、蜘蛛はもうカーテンから消えていた。

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2006年10月20日 (金)

TAXi

TAXi DVD TAXi

販売元:ポニーキャニオン
発売日:2003/11/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する

やっぱり、1作目が一番

 日頃、お世話になっておいてなんですが、昔ならばいざしらず、最近の日本でタクシードライバーという職業は、ちょっとやさぐれたイメージがあるような気がします。

 最短距離を判断してくれる、時間帯によって混まない道をチョイスしてくれる、目印になる建物はチェックしてくれる、そんなプロフェッショナルがいたのは昔の話。カーナビが普及してから、そんな判断も不要のようです。

 今どこにいてどんな道を通っているか、通信で会社の方にチェックされるから大変、というようなことを、ベテラン風の運転手さんが言っていました。

 プロフェッショナルが減っただけでなく、プロフェッショナルな事をすること自体が許されていない事情もあるらしい、と知りました。

 ロンドンでタクシードライバーになるのが難しい、という事は聞いたことありますが、どうもフランスでもそうらしい、という事をこの「Taxi」をみて知りました。

 主人公が、その職業につくと決まった前日、それまでの職だったピザの配達の同僚達が祝ってくれます。配達用バイクで信じられないほどアクロバティックな運転をみせるその姿も格好いい。その祝いからするに、やはり、日本のように気軽につける職業ではないのでしょう。

 

 日本では、「Taxi」の主人公のように嬉々としてなる職業でないのは、乗客である私たちにとっても残念だと思います。プロ意識を持っている人と接するのは楽しいもの。

 でも「Taxi」の主人公のような車にのせられる事はまずないだろうということは、ちょっと安心。三半規管は強いほうですが、さすがにあれは耐えられないだろうな、と思うから。  

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2006年10月19日 (木)

ベルギー王立美術館展

ベルギー王立美術館展 ~巨匠たちの400年~公式HP 

                   国立西洋美術館 のHP 

 本当はダリ回顧展に行くつもりでした。

 ところが、上野の森美術館に行く途中、国立西洋美術館の前を通ったら、ベルギー王立美術館展の大きなポスターが。

 経験上、「~美術館」展というものに外れはありません。知らなかった画家を強制的にみることになるので、好みの画家を新たに発掘する楽しみもあります。

 そのうえ、ルーベンス、ユトレヒト、そしてマグリッドの名前が連なっていたら、もう行くしかありません。

 閉館まで2時間ほどしかなかったので、今回はダリ展はおみおくり。

 ちなみに行こうとしていたくせに、ダリは実はあまり好みません。世界が完璧すぎて、観る側の物語が入る余地がないように感じてしまうから。

  

 ベルギー王立美術館は、予想どおり当たりでした。

 大好きなマグリッド。3枚しかなかったけれど満足。

 「光の帝国」の左下に門があること、「血の声」の背景にものすごく奥行きがあることに、今回はじめて気づきました。

 

 ステヴァンス「秋の花」のスカートの光沢、

 ユトレヒト「オウムのいる静物」の銀食器、

 スピリアールト「オステンドの港」からひきだされる物語、

 ヌイッセン「欲望」であらわにされてるその感情。

 それらを少し離れてみても、邪魔にならない程度の人の入りも好みでした。

 

 12月までやってます。

 ダリ回顧展にいって、その長蛇の列にうんざりしたら是非こちらを。おすすめです。

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2006年10月17日 (火)

岡嶋二人さんと同様(BlogPet)

今日この頃

 間違っていたらすみません


 あの模型をはじめてみたのはNHK教育の番組でした


 

 岡嶋二人販売元:
講談社Amazon.co.jpで詳細を確認する

実際におこっても不思議じゃないのに
時間、私に4次元をかいまみせてくれていました


 外側の内側の、あの模型は欲しいです壺著者:
岡嶋二人さんと同様、私に4次元空間で欲しいです
模型をはじめてみたガラス職人は岡嶋二人さんと同様、私はNHK教育の番組でしたがずっと思ってなくて驚きました
ネットで欲しいです擬似とか欲しいです壺著者などしないのに
と、がんももは思ったの♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年10月16日 (月)

妹の恋人

妹の恋人 DVD 妹の恋人

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2006/06/17
Amazon.co.jpで詳細を確認する

バスター・キートンを知らないと面白さ半減かも

 兄がいます。仲も良いとは思います。

 優しい兄です。

 子供の頃にはいじめられましたが、いじめるような時期をこしてしまってからは、ほとんど友達状態です。私のこまっしゃくれた口調にも怒ることはありません。

 兄の部屋のベッドで寝てしまった私をおこさず、床に布団をひいて寝て風邪をひいてしまうような人です。

 でも干渉はされません。お互いの恋愛ごとも、簡単には知っていますがそれまでです。いいとも悪いとも言いません。ちょっと苦笑する程度です。

 たとえ、「妹の恋人」にでてくるジョニー・デップのような芸人志望が私の恋人でも、兄はなんともおもわないでしょう。

 私が健やかで元気そうならばそれで別にいい。私の周りにはそれを第一に考えてくれる人が多いので、時にありがたく、時に困ります。ますます私は増長してしまう。

 

 ちなみに「兄の恋人」は存在しません。

 そこそこもてるようですが続きません。男友達と飲む事、遊ぶことが第一で彼女をおざなりにするからです。とうとう友達の妻から、ホモ疑惑がでてしまったほど。

 妹として、「兄の恋人」に干渉する気はさらさらありませんが「兄の恋人がいないこと」には干渉したい。

 ホモ疑惑がでるほどの友情を持っている兄を尊敬しつつも、それはちょっと...と思います。

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2006年10月15日 (日)

穏やかな理由

 とうとう一年たってしまったのだな、と思う。

 だから、彼が半年前に覚悟をきめたように、私ももう覚悟を決めることにした。

 

 去年参加したイベントに、今年も昨日、今日と参加した。

 私は穏やかだった。それに気づいた彼も穏やかだった。だからお互い、自然にいたわりあい、相手の好意を素直にうけて仲良くしていた。

 怪しんでいたまわりの人達が、もはや怪しむのがばからしくなるほどに。

 あの二人は恋人同士なのだろうという誤解が、暗黙の了解になってしまうほどに。

 

 もう何も無理に隠す必要はない。どんなに皆が勘違いしようと怖くない。それはもはや、本当ではないのだから。

 終わったことだと認める事に、決めたのだから。

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2006年10月14日 (土)

アリスの国の不思議なお料理 -ジョン フィッシャー

アリスの国の不思議なお料理 Book アリスの国の不思議なお料理

著者:ジョン フィッシャー
販売元:ベストセラーズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

いくつか作りました

  「大草原の小さな家」のかえで糖。「ちびくろさんぼ」のパンケーキ。「メアリー・ポピンズ」の木苺のケーキ。
 物語に出てくる食べ物はどれもおいしそうで、憧れます。

 「ちいさい魔女」の塩漬けキャベツ。「グリーン・ノウの子供たち」のからし入りたまねぎのサンドイッチ。
 本当はあまり好きでないものまで、美味しそうに感じるから不思議です。
 本当に目の前にあるよりも、活字で書かれている方がより美味しそうにみえるのは、その物語にあるシチュエーションもプラスされているからかもしれません。
 
 何年か前に、「くまのプーさん」や「メアリー・ポピンズ」などにでてくる食べ物をまとめた料理本が、たてつづけに発売されたことがあります。
 図書館で何度も借りて、何度も読みました。
 ...そう、読んだだけです。
 
 私にとってその本は料理の本ではなく、大好きな物語にでてくる食べ物をより楽しむためだけのものでした。その料理がでてくるシーンを読んで味わい、その作り方から味を想像しつつ、また味わう。
 我ながらなんだかなあ、と思いますが、活字で”食べる”美味しさは捨てがたい。
 中途半端に作ってしまって味が固定されるくらいならば、そっとしておきたい。
 だからたとえ作ったとしても、この本をみながらは作らない。自分だけの味のイメージとイコールになるとは思えない。
 大事にしている小説の映画化が素直に喜べない気分、といえば、わかってもらえるでしょうか。

 
 「アリスの国の不思議なお料理」も同じく料理本です。
 けれど、この本の料理だけは安心して作れます。だって「飲んだら背が伸びる飲み物」「小石のケーキ」、その作り方が本物であるわけがないからです。
 もちろん本物だったら、それはまた別の理由で作りたくなるけれども。
 

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2006年10月13日 (金)

クラインの壺 -岡嶋 二人

クラインの壺 Book クラインの壺

著者:岡嶋 二人
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

実際におこっても不思議じゃない、今日この頃

 間違っていたらすみません。

 外側と内側の、面が交差しないのにその空間はつながっている、というのがクラインの壺の特徴です。

 その「クラインの壺」。模型をはじめてみたのはNHK教育の番組でした。多分、小学生か中学生の頃です。

 クラインの壺については、メビウスの輪の親戚のようなもの、という事だけ知っていました。よもや模型があるとは思ってなくて驚きました。そのうえ、その模型はガラス製なのでTVではよくその形がわかりません。ただ、奇妙にねじくれたその形に魅かれて、本物がみたくて仕方ありませんでした。

 後に、ネット上で、「4次元空間でのクラインの壺を3次元に射影した画像」というものをみました。サイトそのものは、もはや私には理解できない次元の内容でしたが、画像は興味ぶかいものでした。

 それは私がずっと思っていた、あの壺の形でもなんでもなく、奇妙にねじれたドーナツのような形でした。

 

 岡嶋二人さんの「クラインの壺」は、3次元では表現できないその形を文章であらわしてくれています。

 題材そのものは、タイトルのおかげで微妙に小説の先が読めてしまったくらいにシンプルですが、その文章力で時間と空間を見事につながり、3次元にいる私は読んでいる間中、まごまごさせられました。

 

 TVでみたガラス製の模型。今では、あれが擬似「クラインの壺」であることを知ってます。残念だけど3次元では作れないものだという事も。

 それでもやっぱり、あの模型は欲しいです。

 あの模型をつくったガラス職人は岡嶋二人さんと同様、私に4次元をかいまみせてくれたもの。

 数学者よりずっとわかりやすく、ずっと素敵に。

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2006年10月12日 (木)

おろしや国酔夢譚 -井上 靖

おろしや国酔夢譚 特別版 DVD おろしや国酔夢譚 特別版

販売元:角川エンタテインメント
発売日:2005/01/28
Amazon.co.jpで詳細を確認する

映画もよかったけど、ちょっと短い...。

 

  自分にとっての有名人が、人にとっても有名人とは限らない。
 
 高校生の時、「小泉今日子の顔がわからない」と、友達に言われて驚いた。
 当時、小泉今日子は第一線で活躍している真っ最中。CMにもTVドラマにも映画にもやまほどでていた頃だったので、顔がわからない、というのが信じられなかった。
 
 友達と話していたら、「太宰治?知らない。」と言われて驚愕した。試しに三島由紀夫、川端康成、の事も聞いてみたらやはり知らなかった。彼は大学受験をした経験があるはずなのに。
 
 そして私は、マジック・ジョンソンと間違えて、「エイズにかかったのはマイケル・ジョーダン」と思い込み、兄をのけぞらせた。

 名前が知られている人でさえ、今生きている人に対してさえ、そうなのだ。
 じゃあ「大黒屋光太夫」が、あまり知られていないのも仕方がない、そう思う。それでもちょっと悔しい。もったいない。

 
 「おろしや国酔夢譚」の主人公、大黒屋光太夫は実在の人物。

 船頭としてロシアの端っこの島に漂流した彼は、日本に帰るという夢をあきらめず、ロシアを横断するように移動し、エカチェリーナ2世に謁見までして、10年かけて日本に帰国した。

 この本を読むまで、大黒屋光太夫なんて、名前しか知らなかった。読んでから、こんなドラマティックな人生を歩んだ、かっこいい日本人がいたことを人に伝えたくなった。もちろんそれは、井上 靖さんの小説の力もあるかとは思うけれど。

 ちなみに「小泉今日子」を知らなかった友達は、お相撲さんの名前は詳しかった。お気に入りの力士について、彼は延々と話してくれたけど、その力士達のことを、私は誰一人として知らなかった。
 もう名前も忘れてしまったその力士も、大黒屋光太夫も、一部地域で有名人。誰かに伝えたくなる魅力を持つ人というのが有名人の条件だから。

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2006年10月11日 (水)

ホワイトナイツ 白夜

ホワイトナイツ 白夜 DVD ホワイトナイツ 白夜

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2005/03/25
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ミハイル・バリシニコフがすばらしい

 ダンスと名のつくものは、どんなものでも習ったことがありません。

クラブで踊った経験も皆無です。

だから、ダンスが上手な人は、音楽ができる人と同様にあこがれます。

 

 昔、友達にこの映画をすすめられて感動しました。ミハイル・バリシニコフが、自分の心境を語る代わりに踊るシーンがすばらしかった。

 すすめてくれた友達は、バリバリの空手家で硬派な男の人。ダンス、しかも、白いタイツはいておどるようなクラシック・バレエなんて毛嫌いしそうなタイプだと思っていたので、余計に印象に残りました。意外にいい趣味しているのだなあ、とこっそり思ったりして。

 彼はこの映画を、バリシニコフを絶賛していた。ムダのない洗練された動きは、美しい。空手であってもバレエであっても、と。

 どんなことでも、つきつめていけば同じ答えにいきつく。「羊の宇宙」に書かれたことと同じことを、彼は言っていたのだな、といまさらながらに思います。

 

 いいなあ。

 何かを極めた、もしくは極めようとしている人達が持つその答えを、私はいつもうらやましく思いながら。

 さて、どれを極めようか、などと選択肢を選ぶ時点で立ち止まっている私は論外だな、とも感じずにはいられません。

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2006年10月10日 (火)

というような事をいわれたことがあります(BlogPet)

こないだ、ももんがが
この、「耳をすませば」の主人公の耳とイメージがかぶる、というような事をいわれたことがあります。
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年10月 9日 (月)

ひきこもり

 音楽や、場所や、食べ物がキーになって、いとも簡単に記憶はよびさまされる。

 それが幸せなものほど、本当はつらいはずなのに。

 私はその楽しかった気持ちを思い出したまま、また幸せな気分になってしまう。

 だから困る。

 ほっておけば、私はこれだけで簡単に数年はすごせてしまう。そういう性格なことをしっている。

  

 逃げているから、つらくないのか。

 思い出になったから、つらくないのか。

 悔しいけれど、多分、前者だ。

 

 あきらめきれていない相手との思い出は、増えないけれど、裏切らない。

 中学生の片思いがほとんど宗教と同じように、自分ひとりだけで完結してしまう。

 間違っているのに、それで私は暮らせてしまう。明るく元気でいられてしまう。

 これじゃ、精神的なひきこもりだ。誰一人、気づきはしないだろうけれど。

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東山 魁夷の世界

東山魁夷の世界 Book 東山魁夷の世界

著者:東山 すみ,東山 魁夷
販売元:美術年鑑社
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ただ、息をのむ

 友達の家に長居をしてしまい、帰りは午前様もいいところで。

 バイクでの帰り道、大通りの信号を右に曲がった瞬間、眼に入ったのは、名月。

 少しかけてはいるけれど、雲ひとつない夜半の空にさえざえとした光をなげかけていた。

 高い高い空の向こうから、何重もの光の輪をつくっている姿は、いかにも秋の月らしく、私は車が走っていないのをいいことに、速度を下げて、空を見上げながら帰ってきた。

 東山 魁夷の、風景を思い出す。

 

 東山 魁夷の絵をいいな、と感じるようになったのは、20代も大分すぎてから。それまでは、ただ、淡い、というより、ぼんやり、というイメージの絵という印象しかなく、あまり好きな画家ではなかった。

 今は、日本の風景の、その美しさに息をのんだ瞬間、その心象風景を、こんなに的確にあらわしている絵は他にないと思っている。自然を書き取っただけなのに、私が持っている日本のイメージをこんなにひきだす。そしてみとれてしまう。

 まるで、その景色そのものをみているように。

 

 今日の空は、それだけの月にもかかわらず、星さえもくっきりみえた。

 秋で空が澄んでいるのか、それとも逆に、都会の月の光には限界があるからなのか。それはわからない。

 でもいえることは、星をまったくよせつけない田舎の満月にも、決してひけをとらない美しさだったということ。

 まぎれもない、中秋の名月だった。

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2006年10月 7日 (土)

きよくただしいお休みの日

 ちょっと疲れたからといって、外でご飯も飲み物も買う、深夜の帰宅。コンビニしかあいていないからコンビニへ。

 コンビニご飯はものによっては決して嫌いではないけれど、ついついコンビニご飯に偏見ともいえるイメージを持ってしまっているので、買うのにためらう。

 

 正しいコンビニご飯のありかた。

 家についたら、冷めないようにまず最低限の着替え。脱いだ洋服は、見ないふりができるぎりぎりの位置にほおりなげたまま。

 化粧は落とさず、もしくは落としても洗顔の必要がない、さっぱりシートでの化粧落とし。

 部屋の電気と同時につけたTVをみながら、付属の割り箸で、温めてもらったのが冷めないうちに食べる。一緒に買ったペットボトルはもちろんそのままで飲む。

 観ているTV番組は、決してみたかったものではないが、食べ終わっても観続けて、お風呂も入らないまま、そのまま眠ってしまう。

 そんな生活が、コンビニご飯にはふさわしい、とつい思ってしまう。そしてそのイメージが強すぎて、コンビニご飯を食べるときは、そのまんま自堕落な生活モードになってしまう。

 つまり、コンビニご飯を食べるとき。それは自堕落な生活を許してしまうとき。

 にわとりと卵だな、と思う。

 

 コンビニご飯だらだらすごした次の日は、不思議なくらいもっと疲れて動けなくなる。

 

 だから、3連休の最初の日、やることは決まっている。

 洗濯をして掃除をして布団を干してみる。ついでに衣替えもしてみる。

 音楽を聴きながら、飲み物片手にご飯を作る。

 さっぱりした部屋で、でもやることといったら、だらだらしている時と一緒。

 ご飯を食べながら映画を観る。お茶を飲みながら本を読む。

 けれど、こんなに気分は違う。

 なんて自分はわかりやすいのだろう。

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耳をすませば

耳をすませば DVD 耳をすませば

販売元:ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
発売日:2002/05/24
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優しいい気持ちになる

  

 何がどう、というわけではありません。

 中学生の女の子の、ささやかな日常の話です。

 

 かつて私も中学女子だったので、彼女の気持ちはわかります。

 詩や小説を、友達同士で何かを作って、得意げに披露してみたり、

 ちょっと大人びたお店で、みつけたお気に入りの雑貨を、みるためだけにそのお店を訪れたり、

 自転車をこいでみる風景を、当たり前と思いながらも、いつもいつも感動しちゃったり。

 好きな男の子に、好きとつたえるより先に、好きと感じるその前に、その男の子の友達としてふさわしくなければならないとがんばっちゃったり。

 

 何もかもが、なんてまっすぐで一生懸命だったのだろうと思わずにはいられません。あの頃と、決して自分が大きくかわったとは感じたことはないのに、そんな風に懐かしく思っちゃうのは、自分が今ちょっとへたれているからなのかもしれません。

 

 この、「耳をすませば」の主人公の女の子とイメージがかぶる、というような事をいわれたことがあります。そのとき、私はすでに社会人でした。

 悪い気は、しませんでした。

 しませんが、言った相手が、誉めるつもりでいったのかそうでないかは判断はつきにくい。

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2006年10月 6日 (金)

四国はどこまで入れ替え可能か -佐藤 雅彦

四国はどこまで入れ換え可能か Book 四国はどこまで入れ換え可能か

著者:佐藤 雅彦
販売元:新潮社
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マンガ...になるんだろうなあ、一応。

 タイトルでやられてまず手に取りました。やはりタイトルは重要です。

 中身は、「ねっとのおやつ」の四コママンガ。作者はピタゴラスイッチ、ポリンキー等で有名な佐藤雅彦さんです。

 素朴な疑問、素朴な笑いを誘うほのぼのとしたこの本を一気に読むのは必死でこらえて、今、お昼休み用にしています。

 こういう、何も考えずに楽しめる本、貴重です。

 ちなみに四国がどこまで入れ換え可能か? この疑問の「どこ」とはどういう意味なのかをそもそも私はよくわかってませんでしたが、答えをみて何分かあとにじわじわ笑いました。 

 答えは書店にてお楽しみください。

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2006年10月 5日 (木)

見てわかるパソコン解体新書 -大島 篤

最強です

 「好奇心、猫を殺す」

 海外のことわざかと思いますが、同じような意味のことわざがもうひとつあることを知りました。

 「Birthday Book」というプレゼント向けの本。その日に生まれた人の性格や、運勢、誕生石、向いている職業等の情報が日ごとに一冊の本になっているものがあり、私も自分の誕生日のものを持っています。そこに書いてありました。

 「愚か者は天使がためらう場所へとびこむ」

 私の基本性格。「このことわざはこの日生まれの人のためにあるようなもの」だそうです。

 わかっちゃいますが、あらためて指摘されるとへこみます。「好奇心、猫を殺す」の方がまだましだ。

 わからない事なんて、世の中にはたくさんありますが。気になりだしたらきりがないですが。

 でも知りたいものは知りたい。

 それがくだらないことであればあるほど。

 

 ソフトウェアを勉強し始めた頃、横目で気になっていたのはハードウェアの仕組み。

 ハードウェアに関しては、勉強し、仕事をした結果、自分に素質がないことがつくづくわかっていますが。だからこそ気になる。

 「パソコン解体新書」は、そんな私の神様です。私でもぎりぎり理解できる範囲の易しさで、私の自己満足を満たしてくれる程度の技術が、図入りで説明されている。

 

 子供の頃、学研の本を読み漁る。そんな気分で読んで、そしてちょっとだけ、わかった気でいられる。

 私の好奇心なんて、猫を殺すほどでもない。たかだかそれだけのもんだ、と、思う。いや、思いたい。

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2006年10月 4日 (水)

邪魅の雫 -京極 夏彦

邪魅の雫 Book 邪魅の雫

著者:京極 夏彦
販売元:講談社
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大磯、平塚のみ、特装版で出版されているようです...。

 京極夏彦さんの代表作、京極堂シリーズは、屁理屈好きにはたまりません。

 アームチェア・ディテクティヴならぬ、「座敷憑物落とし」の京極堂と、ワトソン役にあたる小説家、関口との、長ったらしい会話が私はお気に入りです。

 その全てがかならず正論とは限らないし、もちろん、これが正しい!なんて書いてあるわけではありませんが、読むたびに、自分が持つ考えがいつも大きくゆさぶられる事は確かです。

 その複線のような会話をふまえて、事件がおこる。

 読みはじめて、妖怪=憑物にふれ、読み薦めるうちにその憑物にとりつかれ、最後に憑物おとしの作法によって、憑物はおち、目の前がすっきりする。

 こんな書かれ方をされたら、途中で読むのをやめる訳にはいきません。たとえ弁当箱のような厚さでも。

  

 今回は今までとちょっとばかりスタイルが違って最初は読みにくい印象をうけました。

 逆にいうと、再読するたびに楽しめる仕掛けが多くなっているイメージ。

 次作のタイトルは「鵼の碑(ぬえのいしぶみ)」と書いてありましたが、何年後に出版されるかわからない。

 それまで再読して楽しんでくれってことでしょうかね。

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2006年10月 3日 (火)

嬉しいまわりを処方しなかった(BlogPet)

相手とか、嬉しいまわりを処方すればよかった?
嬉しいまわりを処方しなかった
とか思った?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「がんもも」が書きました。

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2006年10月 1日 (日)

アンジュール -ガブリエル バンサン

アンジュール―ある犬の物語 Book アンジュール―ある犬の物語

著者:ガブリエル バンサン
販売元:ブックローン出版
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この表紙だけでも価値がある

 犬はしゃべらない。

 だから、何を思っているのか言葉では聞きようもない。尾をふる、笑う、ほえる、甘える、駆ける、そういう動作から、推測するだけだ。

 でもその態度に嘘はないはず。だからその行動だけで気持ちがわかる、ような気がする。 言葉で気持ちが聞ける人間よりもずっと。

 

 「アンジュール」は、セピア一色の絵本です。文章はありません。

 だけど、これほど犬の孤独や悲しみや喜びを、あらわしてくれている本を知りません。

 セピア色の、アンジュールはとても雄弁。たとえ、写真で同じように犬をとっても、これほど感動するとは思えない。

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たかが夕焼けでも

 今日、行くべきだった場所には行かなかった。
 正しくは、行ったのだが素通りした。
 素通りして、そのままバイクを走らせて海まで行った。夕焼けに間に合うように。

 海の夕焼けを、ちゃんとみたのは一度きり。あれはあのときだけなのか。いつもそうなのか確かめたかった。

 私の育った場所は、山にかこまれてる。

 山の夕焼けというのは色素が薄い。

 柔らかな黄色が空と青白い山。その空より少しだけ雲は暗く濃い色になる。
 どんなに真っ赤な夕焼けでも、どんなにそれが雲に反射していても、それは水彩絵の具の色だ。水で薄めた透明な色。
 ずっとそういう夕焼けをみて育ってきた。
 

 海の夕焼けを一度みたとき、その激しい色に声もでなかった。

 どれもこれもが色素が濃い。油彩画の色だった。

 雲は、火事の火のように赤くにも、藍瓶の青くにも染められている。太陽は沈む音が聞こえてくるようなその質量を熟成させた色で主張し、海は何色をも含んだ波に金色の線を入れている。

 こんな夕焼けは私は知らない。こんな自然は私が知ってる自然じゃない。そう思いながらたちつくした。

 今日は雲が多かったから、あの時みたほど強烈なものではなかった。けれど、それでもその夕焼けにその色に、やはり私は声もでなかった。

 夕焼け一つとっても、こんなにみてきたものは違うのだ。

 では、きちんと伝えない限り、わかってもらえるわけがないではないか。

 そう思った。

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