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2006年11月 2日 (木)

もう二度と

 世の中の人は、もう二度と、と思えるほどの相手にどれだけめぐり合えるのだろう。
好きな相手でも、友人でも。

 10年近く前、もう二度と、と思える人がいた。
私にとって第一級の友人だった。
大好きだった友人は、何年もたってから大好きな恋人になったけれど長くは続かなかった。
友達だったら許せることが恋人になると許せない。
その事を、私はわかっちゃいなかった。

 すごくすごく好きだった人と別れたことと、大事な友人をなくしてしまったということ。
その両方が自分をうちのめして、吐くようにして毎日泣いた。
好きにさえならなければ、と後悔するほど大事な友人だった。
もう二度とあんな相手には会えないだろうと思うほど、大事な人だった。
  
  
 あのときと同じ11月の連休前。
昨日、もう二度と、という思いは、10年前と同じく心の底から私を悲しくさせたけれど、
そんな相手にもう一度出会えただけでも幸せなのかもしれない、という気持ちが私をなぐさめる。
大事な人としても大事な友人としても。

だから、できることならばもう二度と、せめて大事な友人はなくしたくない、と思うのだ。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

物事の認識の仕方を少し変えてみると、同じ事態に違う角度から光が当たる・・・そんなことを思いました。

「時は失われるものではなくて、やって来るものなのだよ」という「時をかける少女」の中のケン・ソゴルの言葉を何回も思い出すのは、そんな認識の多様性を教えてくれたからでしょう。

二度と会えないと思える位の人に、これからの人生、100人くらいは会えるといいですね。

70歳で画家になった人もいれば、90歳で処女に恋する男の話を書いたガルシア・マルケスは77歳でした・・・。

人生は長~い。

投稿: チャーリー | 2006年11月 3日 (金) 05時28分

お久しぶりで~す。
昨夜読んだときと、ビミョーに印象が違うよーな気もするのですが・・・。
最近本をほとんど読めなくなってしまったのが僕の弱点で、ももんがさんに適当な言葉をかけられないので、仕方なく文学と遊びとギャンブルを三位一体と思っていた(まるっきり違うものなのにねぇ。。。)ころにつくっていた抜書きノートを引っ張り出してきました。。。
「あらゆる人間は、常に何ものかを通して、生き続けてゆこうとしているのである。詩人もその例外ではない。彼は詩を通して生き続けてゆこうとしているのであって、決して詩そのものを求めて生きているのではない。生きてゆくために、あるいは、生きているから、詩を書くのである。彼は詩には惚れていないが、世界には惚れている。私が言葉をつかまえることの出来るのは、私が言葉を追う故ではない。私が世界を追う故である。私は何故世界を追うのか、何故なら私は生きている。」(谷川俊太郎)
ももんがさんと重なる感じがします。
頑張ってくださいねー。

投稿: ONI | 2006年11月 3日 (金) 17時53分

>チャーリーさんへ

 考え方一つでどんな風にもなる。いくらでもまた元気になれる。そう思って、とりあえず、今はのんびりとした気分でいるようにしています。 いつもありがとうございます。

>ONIさんへ
 お久しぶりです。
 昨日の時点のはあんまり、日記くさいというか、潔くなかったので変えました。読んで、気分がよいものではなかったので。
 谷川さんのような詩人の言葉に重なるとは恐れ多いです。でもありがとうございます。
 「我思う、ゆえに我あり」というプラトンのせりふが自分のことを思うときにでてくる言葉なのですが、それに近しい気分にさせられました。

投稿: ももんが | 2006年11月 4日 (土) 02時16分

追伸:
プラトンじゃなくて、デカルトじゃん、というつっこみをつい自分にせずにはいられないほど、元気ですw。

投稿: ももんが | 2006年11月 5日 (日) 15時29分

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