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2007年9月27日 (木)

少年 -ビートたけし

少年 (新潮文庫)

少年 (新潮文庫)

著者:ビートたけし

少年 (新潮文庫)

目線が既に映画

 北野武監督作品は、気が向いたら観る程度のファンですが、結構好きです。

 叙情的なものはもちろんヤクザ系の作品にも、北野さんの映画にはいつも、いい感じで隙間がある。

 それはただ、セリフがない、とか、風景が映し出されているということではなく、観ながら何か個人的な思いにひたることができる、絶妙な間。

 本人も忘れていた何かを引き出すことができる。やはり北野さんってすごいのだな、と感じる瞬間です。

 

 今まで小説の方は読んだことがありませんでした。

 たまたま本屋で、この「少年」を手にとりました。

 読みやすい文体ですが、少しだけ書きなれていない雰囲気を感じます。最初の小説だからでしょう。

 文章が、まるでシナリオのノベライズ化のように感じるのは先入観かもしれません。

 けれど、最初の短編のこの表現。

 「光がダンスをしているような一日だった」

 秋のうららかな日をあらわす文章の中の、この一文に、なぜだかすごくハッとしました。

 ありそうで、ない文章。

 そして小説全体の雰囲気も、ありそうでない優しい目線のものでした。

 

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2007年9月23日 (日)

なりふりかまわず

 人の気持ちは、そう簡単には変わらない。

 お願いしたって、できることとできないことがある。 

 だからお願いしたって相手には、迷惑だろう。

 そう思ってた。

 

  

 相手の胸倉を掴んでなりふりかまわず泣き叫び、好きになって欲しいと訴える。

 その情熱が、相手を動かすこともあるのだと、動く気持ちもあるのだと。

 そんなことを今更知った。

 

 慟哭したいほどの気持ちを知っている。

 相手に泣いて頼んですがりつく、それで振り向いてもらえるならばいくらでも懇願できるほどの情熱も。

 けれど私は抑える技術だけを身につけて、なりふりかまわず動ける強さを持つことをしなかった。

 多分、そこが間違ってる。

 TVドラマで泣いて訴える主人公をみて、そんなことをぼんやり思う。 

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2007年9月19日 (水)

スウィート・ノベンバー

DVD スウィート・ノベンバー 特別版

販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2007/09/07
Amazon.co.jpで詳細を確認する

11月に紹介するのが正しいのかもしれないけど

 キアヌ・リーブス主演の恋愛物語は、何故かあんまりヒットしない気がするのは何故だろう。

 「雲の中で散歩」も、この「スウィート・ノベンバー」も、確かあんまり売れたイメージがありません。

 地味な作品ですが、どちらも私は大好きです。

  

 主人公はある女性に「11月限定で恋人にならないか?」と誘われる。

 その彼女、文字通り自由きままに生きていて、型にはまった社会人の主人公からみると、文字通り、型破り。

 時計も携帯ももたせない、そんな彼女にとまどいながら、けれども主人公の肩の力がだんだんぬけてく姿が、なんだか心地よい。

 彼女の生き方は決して自由奔放なのではなく、彼女自身の規律にもとづいたもので、それを貫く彼女は、とてもチャーミング。

      

 彼女にとって特別な月である「11月」に選ばれた彼が、「9月」に会うシーン。

 「君が11月か。俺は9月だ。」

 この映画の中では実はここが一番好きです。

 「森は生きている」。12の月の精たちがでてくる有名なロシア童話をふと思い出し、きっとこの監督もあの童話が好きなのに違いない。そう思ったから。

 あのロシア童話では12の月達は、自由に季節を動かすけれど、この映画では12の月のお役目は、彼女によって選ばれる。

 そしてそれは、「光栄だ」と思えるほどに、彼女は素敵だ。素敵で潔い。

 そして潔すぎるから、ラストはちょっと悲しい。

 甘い11月。けれども終わりは決してスウィートではないのです。

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2007年9月15日 (土)

京都人だけが知っている -入江 敦彦

京都人だけが知っている

京都人だけが知っている

著者:入江 敦彦

京都人だけが知っている

京都だから許されるようなタイトル

 姉が住んでいるので、京都は身近です。

 だからでしょうか。何度行っても行きたいところしか行きません。それ以外は普段から自分がするような事しかしていない。

 普段からすることといえば、散歩。

 町屋が並ぶ小道を歩くだけで、旅行気分が味わえるといえば味わえますが、それは京都だからではなく、どちらかというと、いつもの散歩コースの一本外れた道を歩く。その気分と同じもの。

 つくづく、旅行にはむいていない性格です。

 

 「京都人だけが知っている」は、京都との本屋で購入。ここで売って意味があるのだろうか?と思いつつ、平積みになっているこの本を手にしました。

 これは京都人である入江さんがこっそり教えてくれる、京都人の生活と性格の秘密。

 おばんざいとは、「ケチ」な節約家庭料理であるだけのこと。売っているようなお漬物は決して日常の食べ物ではないこと。京都の人は実は「パリ」に憧れていること。

  不思議なものですが読んで少しだけ、散歩する目線がかわりました。大好きな人が生まれ育った街をはじめてたずねてみたような、そんな親近感。

 

 シリーズ化されてますが、京都でバカ売れだそうです。入江さん曰く「京都人は自分たちが大好きだから」だそうですが、そうでなくてもわかるような気がします。

 自分の生まれ育ったところの話を友達に聞かせる、そんなイメージの本だから。どんな風に言われているかは知りたくなるのは当たりまえだもの。

  

 今度、友人と珍しく「旅行」として京都に行くことになりました。桂離宮がめあてでしたが、予約とれなかったので、おそらくまたふらふらと散歩が多くなるでしょう。

 この本、姉に贈呈してしまったのでまた買ってしまうかもしれないです。

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2007年9月14日 (金)

沙門空海唐の国にて鬼と宴す -夢枕 獏

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1

著者:夢枕 獏

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ1

好い漢たちばかり

 夢枕さんの本はどれもこれもが上手すぎる。

 すごくすごくファンですが、十年以上続いているシリーズ、多すぎます。

 「陰陽師」のような、一話完結もののシリーズならばともかく、キマイラシリーズのようなものは、続きが気になって仕方がない。

 結果、完結しているものばかり読み漁ることになります。

 この本、 沙門空海唐の国にて鬼と宴す(しゃもんくうかい とうのくににて おにとうたげす)は完結してます。安心して今読んでます。

 若き日の空海が、遣唐使として唐の国へ行く。密を教えてもらうでなく、盗むために、と公言してしまうあたり、大物です。

 空海と、同じ遣唐使である橘逸勢(たちばなのはやなり)は、「陰陽師」の清明と源博雅のようなコンビ、読んでいて気持ちのいい二人組みです。

 その当時、世界的にも大都市だった唐の国を、飄々として歩いていく空海の姿が目に浮かぶ。その隣を、ちょっと虚勢をはりながらも根は素直な逸勢が、驚きをかくさずに目をみはる姿があらわれる。

 宗教も時代もその世界観も関係なく。そのキャラクターに強烈にひかれて、簡単に唐の国へ行けてしまう。

 完結しているから安心して読むけれど、終わりがくるのがもったいない。でも読まずにはいられない。

 そういう魅力的な本は貴重です。やはり夢枕さんは偉大だ。

 

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2007年9月13日 (木)

トゥルーマン・ショー

トゥルーマン・ショー(通常版) DVD トゥルーマン・ショー(通常版)

販売元:パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
発売日:2006/04/21
Amazon.co.jpで詳細を確認する

うっとりとではなく、ぎょっとして一瞬かんがえること

  「自分はこの家の子じゃないのかもしれない。」

 これは子供の頃、おそらく、誰もが一度はうっとりと考えること。

 「周りの世界が本当は全て嘘っぱちなのかもしれない。」

 そう考えるのはそれの変形版だけど、おそらく、自意識過剰気味の人が考えることなのではないかとも思います。さすがに誰もが考えることではないと思う。

 ちなみに私は考えた事ありました。

 だからこの映画を観たときに、「やっぱり同じこと考える人はいるんだな。」と、ちょっとほっとしました。

 そして後年、同じテーマを扱った、手塚治作品にあることも知ったときにはなおのこと。

 

 主人公をとりまく世界は、自分だけをみつめるためにあるフェイクな世界。

 それはつまり、その世界の中心に主人公がいることを示す。

 手塚作品はブラックなアンハッピーエンドですが、この映画はハッピーエンド。何故なら希望がかすかにみえる時点で映画は終わるからです。それはとてもアメリカ的。

 けれど、よかったね、いい映画だった、で終われない。

 フェイクな世界の中心と、リアルな世界の片隅と。

 どちらが嬉しい事なのかどうか、幸せかどうかは別の話だとわかってはいるが。

 この先どうなるか、主人公の行く先がとても気になるのは、私だけではないはずだ。 

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2007年9月12日 (水)

HORIZON -レミオロメン

HORIZON

HORIZON

アーティスト:レミオロメン

HORIZON

誰にでもあてはまる歌詞

 失恋のような強い感情ならばともかく、とてもささいな心の動きを共感させるのは難しい。

 歌詞でがっちり世界を固めてしまうか、よほどの歌唱力でないと辛いでしょう。

 それでも、その感情を「知っている」人ならともかく、「知らない」人には伝わりづらいかと思います。

 

 レミオロメンは、さらさらと乾いた印象のある声の、ほどほどの歌唱力。なのだと思います。嫌いじゃないです。

 歌詞のつくりがとても上手だと思います。

 強烈な感情を歌っている歌詞ではない。

 がっちりと世界をつくりこんでいるわけじゃない。

 それなのに、心に響く。

 まるで「となりのトトロ」をみて、住んだ事のない昭和の中ごろを「懐かしい」と感じてしまうように。

 歌詞に使われる背景はほどよく抽象化されていて、きっと誰もが持っているイメージを刺激する。あるささやかな感情が呼び起こされる。

 

 このアルバムの中の「流星」という曲が一番好きです。

 「もう二度と会えないものに溢れてTシャツで走った」という歌詞にやられました。

 それは誰もが思い起こす、懐かしい、少年の日々。

 笑っていて、と繰り返される歌詞と一緒に、何故か涙ぐみたくなる。

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2007年9月 8日 (土)

口にする

 待つために、誰かを思う。それは本末転倒だと思う。

 そして誰かを思うために、その相手を用意する。本末転倒もここまでくれば完璧だと思う。

 そう思って周りとみると、そういう理由で始まる関係の、なんと多いことか。

 彼らにとっては本末転倒ではないのだろう。もともと目的意識が高いだけのことなのかも、とも反省する。

 

 思うための相手を用意はできない代わりに、私の頭は口に出すための、名前を用意する。

 それは一人でぼんやり思う遊びに呼びかけとして使う名前。

 その名前の持ち主と自分との関わりはなるべく考えず、文字通り、間髪いれずに名指しで用意される名前を黙って受け取るようにする。

 それは、私の心情のあらわれ、歩くために指標であることも確かなのだから。

  

 いつもためらいなく名指しするはずの頭が、躊躇している。

 もう、と戒めている名前や、まだ、と思う名前に翻弄されて困ってる。

 関わりは関係ないと思っているはずなのに。おかげで沢山ある名前の中で選べずに、結局、差し出してくるのは自分の名前。

  

 仕方なく、私は自問自答する。

 呼びかけではなく、独り言をいいながら、ぼんやり明日の予定を考える。 

 自分のために。

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2007年9月 1日 (土)

太陽の塔 -森見 登美彦

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

著者:森見 登美彦

太陽の塔 (新潮文庫)

男の妄想、女のファンタジー

 同性には人気だけど、女性にはイマイチ、という男の人がたまにいます。

 女の人でこういうタイプはあんまりいません。

 何故だろう?と思うとき、男同士の連帯感を感じます。

 そのロマンティスト、ヘタレぶり、そしてスケベ心を全開にするからこその、本音のつきあい。

 それは男同士にしかみせられない、かわいらしい男心。

 

 「太陽の塔」は、そのロマンティストが妄想にまで発展している、むさくるしいまでに愛らしい男同士の世界のお話。

 どうしてこれが「ファンタジーノベル大賞」なんだろう、と思いましたが、読み薦めるうちに納得しました。

 真面目に苦悩する、むさい男達の妄想とかわいらしいまでの意地と、スケベ心と戦うリアルな日々。

 女の人にとってはファンタジーです。 

 この本の、最後の方。

 主人公が、かつての恋人、「水尾さん」との思い出を淡々とつづる。散々笑った内容の後のその部分で、まさか涙ぐんでしまうとは思わなかった。

 

 まったくもって本当に。  

 男の人はロマンティストでシャイなくせに、女の人の前ではええかっこしいなんだから、と。

 愛しく思わずにはいられません。

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