« 葉桜の季節に君を想うということ -歌野 晶午 | トップページ | 大正時代の身の上相談 »

2007年11月19日 (月)

しゃべれどもしゃべれども -佐藤 多佳子

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

著者:佐藤 多佳子

しゃべれどもしゃべれども (新潮文庫)

落語家の裏もみえてまた楽し

 子供の頃、よく吃音がありました。 

 「おかあさん」と呼ぼうとしているのに、口は「おじいちゃん」、や、「おばあちゃん」と言いそうになり、結果、「おじ、おば、おね、お、お母さん」と言った具合に話していて、兄弟によく笑われました。

 ただし、この本、「しゃべれどもしゃべれども」にでてくる吃音の人のように、緊張のせいではなかったと思います。 緊張してどもるというより、頭の回転に口がついてゆかない、という感じです。別に頭の回転が特別良いわけではないですが。

 そして彼のように、それを恥ずかしいというようには、全く思いませんでした。今でも時折どもることがありますが、全く恥ずかしいとは思いません。

 どもってしまうことが、恥ずかしい事であることだ、治させなければと、誰も言わなかったからでしょう。

 笑われる事はあっても、嫌な笑い方をする人がいなかったからでしょう。

 幸せな事だと思います。

 

 

 「しゃべれどもしゃべれども」は、ちょいと自信をなくしかけてる落語家が、ひょんなことから、ひょんな事から話ベタな人達に落語を教える話。

 どもってしまう人、素直になれない人、口先だけで話すことができない人。悩んでいる人達に接するうちに、主人公が自分自身の悩みにもぶつかってゆく。良くあるベタな話といえばそれまでですが。

 完全に解決しないところがいい。それぞれの悩みが、それぞれに変わっていく、それをほのめかすくらいでとめてあるところが、とてもリアルで納得がいく。

 そうだよね、と、自分の悩みを認めたくなる程度の、励ましをされたような、そんな感じがして、とてもよい。

|

« 葉桜の季節に君を想うということ -歌野 晶午 | トップページ | 大正時代の身の上相談 »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

がんももは、ロボと確認するつもりだった。

投稿: BlogPetのがんもも | 2007年11月21日 (水) 10時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 葉桜の季節に君を想うということ -歌野 晶午 | トップページ | 大正時代の身の上相談 »