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2011年6月30日 (木)

村田エフェンディ滞土録 -梨木香歩

村田エフェンディ滞土録 (角川文庫)
奇妙にバランスのとれた小さな世界
 
 実家は神棚が7つもあるような家でした。それに朝はお茶、ご飯を炊いた時には焚きたてを一さじ、神棚と仏壇に供えるのは小さい頃の私の役目。
 
 だから父のお客様が、神棚にむかってかしわ手を打つ私をみて感動していても、当時は全くわかりませんでした。当たり前の事じゃないか、と。
 
 育っていくうちに、だんだん違いを感じました。
 
 お盆や正月のたびに大げさにお迎えしたり、サトイモの葉から露を集めて七夕の短冊用の墨をすったりするような事は、決して当たり前ではなく、理由も説明できない。
 
 だけど身体にしみついてしまった風習なのだから、仕方ないし、第一、嫌いじゃない、とも。  

  
 職場に外国人がいた時もありましたが、基本的に国際交流と呼べるような人間関係を築いたことがありません。
 
 けれど、海のむこうか、そうでないか、の違いで、同じ事なのだと思います。
 
 文化の違い、と、一くくりにはできないくらい根底に流れるものが違う人達。
 それを「そういうものだ」とどれだけ自分が受け止められるかによるのだろうか、それにつきる。

  
 この本の村田エフェンディ。
 トルコに留学中の村田、という名前だけが、梨木さんの他の作品「家守綺譚」に出てきていて気になっていたので、見つけたときは、これか!と喜びました。
 
 明治の時代にトルコに留学した考古学者が、イギリス人の管理する家に下宿し、下宿人仲間のギリシャ人、ドイツ人、召使のトルコ人と交流をする滞在記。
 
 簡潔に書いてしまえば、これで事足りてしまうけれど、こんな説明では片付けられない。
 
 自国の神と異国の神、古いものと新しいもの。侵略と自衛。不思議な事と不思議でない事。
 村田エフェンディはとまどいながらも全て受け止めて、でも流されない。
 それは「家守綺譚」の主人公と同様の静かさだ。
 
  
 異なる意見を持ちつつ、時には憤慨もするけれど、決して相手を諌めはしない。意見が合わない事と、性格が合わない事は別のことと思えばこその友情は、読んでいて気持ちがいい。
 いや、友情とも、もしかしたら違うのかもしれない。
 ギリシャ人のディミトリスのセリフ。「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない。」が全てを語ってる。 

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